Category Archives: くまのかたこと

震災日録 2月10日

9時のモノレールで空港へ。ベビーカーの母子、車体が近づくとマスクをかけた。「那覇でもインフルエンザがはやっているというし。横浜から夫の出張についてきたんです。横浜にいる…

震災日録 2月9日 高江と辺野古

ラブホらしいしつらえながら、おばちゃんは親切で朝バナナとビスケットをくれた。8時に爆音訴訟団の富田さんと待ち合わせ。静岡で学校教師をしていた彼が沖縄に興味を持ったのはお…

震災日録 2月8日 選挙戦を取材

朝の嘉数公園。京都の塔は京都の部隊430人がなくなったという。在日韓国人の犠牲者を弔う青丘碑。島根県の部隊の碑。
ゲートボールのお年寄りがいっぱい。「佐真下に住んでいる

震災日録 2月7日 宜野湾のラブホテル

15時の便で沖縄へ。雨。寒い。朝日新聞支局は沖縄タイムスの中。早速宜野湾へ。
海岸ベリにはリゾートあり。宜野湾市は94000人。真ん中に普天間基地。「よこぎりゃはやいの

震災日録 2月6日 古いチラシ

夕方、ヤマサキ、仰木と千石3丁目の港屋に谷根千、小石川の店のチラシを観に行く。どんな店があったかわかり、とても興味深いが、古いチラシが一枚平均1000円なので個人で買え…

震災日録 2月5日 コミセンの歴史

谷中コミュニティセンター委員長の浅尾空人さんにはなしを聞きに行く。
昭和56年頃からのコミセンの歴史を詳しく。台東区長内山さんが安上がりで、住民参加の施設づくりをどうや

震災日録 2月4日 官僚だけが肥え太る

変質性岩の専門家藤本さんも合流。雪深い川原湯温泉近くを見てあるく。お昼は旬さんの野菜ラーメンでみんな体を温める。ここのコーヒーは大きなカップになみなみあって400円。お…

震災日録 2月3日 地質から見た八ッ場ダム

八ッ場ダムを見てくださる地質学者の方々のお供。東川口駅で伊藤さん、中山さんと待ち合わせ。地質屋さんはさすがにアウトドアな恰好でやって来た。私を見て、戦後のかつぎ屋みたい…

震災日録 2月2日 高台からなぜ戻るのか?

毎日何となく体調不良、喉が痛い。
寒いところにいすぎたせいか。でもヒートテックは化繊でだめだしなあ。絹の下着を着ています。さいきん「官僚」と言う文字を見ただけで吐き気が

震災日録 2月1日 4年のうちに70%?

たまった仕事。夜はのんきに行って、友人たちとそのあと東大バーへ。
直下型地震が4年のうちに70パーセント起ると東京大学地震研究所発表。3・11での失敗を取り戻そうと、誇

震災日録 1月31日 神田のイワト

東京の人口は2060年には8600万台になるとか。ひしめき合う島国が適性規模になるのはイイコトだが、年寄ばかり多くなるのは若い人の負担が大変。
日暮里富士見坂からの眺望

震災日録 1月30日 青鞜のあとを訪ねて

朝から喉が痛い。昨日の冷えがきたのだろう。だから2月の蔵は寒いよ、といったのに。3時半にポン太こと弟子の山本明子が「師匠」と来てふたりで青鞜のあとを訪ねて歩いたのである…

震災日録 1月29日 暗闇シネマ

帰って来た。いない間に富士見坂からの眺望を守る会が盛んに動いて午前中しごと。12時に友人と新宿風紋の林聖子さんを乃池ずしにご案内。穴子寿司や卵焼きを押ししいと喜んでくだ…

震災日録 1月28日 どこに住むかという話

またよしなしごとをはなし、美由紀さんは私の健康のためのしょうが紅茶にハチミツ胡麻ペーストの朝ご飯を作ってくれた。それからお風呂に入って、物件を観に行く。様々な理由で由布…

震災日録 1月27日 由布院の再会

大学入試の会議が急に入った藤原さんと別れ、基山インターから由布院行きの高速バスに乗る。2時駅前につく。お風呂に入るか、ランチを食べるか迷う。結局、タマゴ丼を食べて友人美

震災日録 1月26日 星野村で星を見る

ゆっくり星野村に向う。福田さんという九大の若い音楽の先生と。民俗芸能が専門だが、お母さんの実家が小千谷の星野家だとか。菊池氏も悲劇の離散をしたが、星野氏も南朝方について…

震災日録 1月25日 亀卜神事

きょうも鍵本さんと役場の方が運転してくださって、対馬の文化財をめぐる。天道法師という人のお母さんをまつった神社、法師の神社、いずこも椎の巨木がはえ、原生林の中を歩いて、…

震災日録 1月24日 対馬へ

朝の便で対馬に。空港に6年前、いっしょに釜山を旅した鍵本さんが来てくれて、藤原恵洋さんが会議のあいだ、私と馨さんを案内してくれた。対馬の宗家文書をおさめる長崎県立の博物…

震災日録 1月23日 竜門ダム

竜門ダムを観に行く。このダムは下流の洪水調節と農業用水には役立っているという。また湖面を利用してボートレースなどを行って人がよく来ているとのこと。川辺川ダムは熊本でもか…

震災日録 1月22日 菊池の人々

朝の便で熊本へ。去年、3・11の直後、12日に私は午後の便をどうにかおさえて九州に飛んだのだった。それで友人の藤原さん宅に一泊して、翌日菊池のシンポジウムにむかったのだ…

震災日録 1月21日 ふくの湯、新装なる

あしたから九州。今日中にしなくてはいけないこと多し。動坂の歯医者さんにいって、かえりに動坂食堂でこの間食べたかったヒレカツ定食を食べて、常連の町のおじさんおばさんの楽し…

震災日録 1月20日 ダルビッシュ投手

ゆっくり朝ご飯を食べて、帰ろうとしたら草津は雪で線路内に倒木あり、こない。高崎からは人身事故で普通。前橋から車できた渡辺さんにのせてもらう。けがの功名で雪の一号橋を見て…

震災日録 1月19日 湯かけ祭り

昼の特急草津で川原湯温泉に。上野駅の常磐、信越本線には改札をはいったところに待合室がない。駅には30分前に着いたが喫茶店のコーヒーが450円と高い。中のホームにやっと待…

震災日録 1月18日 江戸東京たてもの園

原発の耐久年数を40年から60年に伸ばすというトンデモナイ話。
センター試験でミス、不手際多し。私も大学にいた頃毎年のように立ち会いをやったことがあるが、あれほど非人間

震災日録 1月17日 八ッ場ダムは天王山

1時半に日比谷公園、八ッ場ダム再開への抗議行動。150人くらいのデモ。「民主党はマニフェストを守れ!」「不要不急の公共工事はやめろ」「ダムをやめて被災地にかね回せ」と至…

震災日録 1月16日 国会議員の数、原発国民投票

官僚や政治家への不信や反感はますます募っている。そのためか国会議員なんて100人もいればいい、という意見が強いが、それでは少数意見が担保されない。小選挙区制ではほとんど…

震災日録 1月15日 どんどやき

小正月。おんな正月とも言う。前日、こどもたちはわら靴に藁の合羽をきて「あわんどり へんどり、天竺まで立ち上がれ」とうたって歩いた。粟食べる鳥、稗食べる鳥、どこかへいって…

震災日録 1月14日 越後妻有の林間学校

新潟の妻有で開かれている冬の林間学校で町づくりの話をしてきた。石巻、福島、郡山、いわきからの親子も来ていた。うーむ、今までで一番難しいお話でした。福島の子どもたちはもう…

震災日録 1月13日 あくまで敵を間違えないように!

1954年に杉並婦人団体協議会の会合があった。奥むめお参議院義員の講演が終わる頃、1人の女性が立ち上がった。和田堀の鮮魚商菅原トミ子。「第五福竜丸のことでマグロに放射能…

震災日録 1月12日 野村かつ子

野村かつ子のことを調べている。消費者運動家だが、1970年頃は原発反対をすでに訴えている。成分表示、単位価格表示などを持ち込み、ラルフ・ネーダーを日本によんだ人。ネーダ…