[ニュース][店主さん][秋も一箱古本市2011]


<秋も一箱古本市2011>
2011年10月8日(土)11:00〜16:00
*雨天の場合は、10月9日(日)に順延 (両日とも荒天の場合中止)
 
天高く馬肥ゆる読書の秋、「本と散歩が似合う街」谷中・根津・千駄木で、秋も一箱古本市を行います。一人一人が「店主」となって、一日限り、一箱だけのお店屋さんを開きます。
箱の中身は十人十色。本で埋まった箱もあれば、一風変わったものを売る箱もあります。本が好き、本も好き。そんな店主こだわりの箱をたずねて、谷根千の街歩きを楽しんでください。
本と人、出会いを探して街を歩けば、ちょっぴりいいこと起こるかも。


<募集要項>
「秋も一箱古本市」で、一日店主をしてみませんか?
必要なのは、ダンボール箱ひとつと、そこで売る本だけ。10冊以上の古本があれば、それ以外にCDやグッズ、手づくり品などどんなものを売ってもかまいません。(但し飲食物は不可です)


<募集箱数>
50箱
 
<応募受付期間>
9月10日(土)24:00(11日0:00)〜14日(水)
それ以前のお申し込みは、無効となりますので、ご注意ください。
なお応募多数の場合は先着順とさせていただきます。
 

<参加費>
2000円

メールでのお申し込み後、指定の口座までお振込みください。参加費の振込みを以って本エントリーとさせていただきます。
お申し込み後のキャンセル、返金はできませんので、予めご了承ください。


<応募の流れ>
1.メールで応募:9月10日(土)24:00〜14日(水)

 
1. 氏名
2. 屋号
3. 住所
4. 電話番号
5. メールアドレス(携帯不可)
6. 参加人数(予定でかまいません)
7. どんな品揃えにするかというPRのメッセージ(200字以内)
8. ご自分のサイト、ブログ、mixiのページなどがあればご記入ください(1つ)

 
以上の項目をご記入のうえ、不忍ブックストリート青秋部(akimo-hitohako@adagio.ocn.ne.jp)までメールでお申し込みください。

 
2、7は、そのまま不忍ブックストリートの公式サイトにて公開し、8は、サイト上の店主一覧とリンクさせます。それ以外の情報は連絡用に使用し、外部には公開いたしません。
 
      ↓
 
2.仮エントリー受付
青秋部より、仮エントリー受付の確認メールをお送りいたします。
 
      ↓
 
3.参加費の振込み:9月16日(金)締め切り
確認メールに記載されている指定の口座へ、参加費2000円をお振込みください。締め切りは9月16日(金)とさせていただきます。
 
      ↓
 
4.本エントリー受付
参加費のお振込みが確認でき次第、青秋部より、本エントリー受付の確認メールをお送りいたします。
 
*なお、荒天等の理由で両日とも開催ができなかった場合は、古書ほうろう、古書信天翁、往来堂書店の3店舗でのみ、参加費2000円の払い戻しをいたします。期間は、2011年内、各店舗の最終営業日までとさせて頂きますので、ご了承ください。
 
 
みなさまのご応募、お待ちしております!(I&N)

サイのせなかにのって空に絵を描く

サイのせなかにのって空に絵を描く ミロコマチコ <http://www.mirocomachiko.com/> 制作期間: 2011年 8/26(金)~31(水) 公開日: 8/29(月)、9/2(金)〜4(日)、8(木)〜10(土)、14(水)〜16(金)、17(土)〜20(火) 時間: 17:00 - 20:00 9/23(金)〜25(日) 時間: 7:00 - 9:00   音楽絵本『やまのいえで』上映: 18:00~/19:00~(約10分、無料) 主催: 工房・ギャラリー やぶさいそうすけ <http://yabusai.net/> 住所: 台東区谷中 1-2-16 --- 書籍: 文画集 四月と十月文庫 2 『ホロホロチョウのよる』 著: ミロコマチコ 定価: ¥1,200(本体価格・税別) 発売日: 2011年 9/12(月) <http://www.minatonohito.jp/products/116_01.html> --- 関連企画:   □ 羊のワークショップ <http://asakopage.exblog.jp/16464551/> 開催: 2011年 9/23(金・祝)「糸をつむぐ」 時間(約 1時間): 13:30~/15:00~/16:30~ 24(土) 「原毛からつくるコースター」 時間(約 1.5時間): 16:30~/18:30~ 参加費(材料費込み): いずれも ¥850 講師: 吉田麻子 <http://hopa.web.fc2.com/> --- ■ カメのおなかで小さな演奏会 開催: 2011年 9/27(火) 時間: 開場 19:00/開演 19:30~ 料金: 全席自由 ¥2,500 大口 俊輔(piano , accordion , toypiano)<http://www.chanchikitornade.jp/> 神田 智子(voice)<http://www.worldstandard.jp/pineapple1/> ミロコマチコ(paint)<http://mirocomachiko.com/> --- ■ ミロコマチコのワークショップ 開催: 2011年 10/1(土) *詳細は追って。 -- □ 善光寺坂ト中 vol.2 西川郷子(上々颱風)ソロ・アンプラグドライブ   開催: 2011年 10/8(土) 時間: 開場 17:30/開演18:00~ 料金: 全席自由 ¥3,000 西川 郷子(vocal)<http://mandi.blog.ocn.ne.jp/satoko/> 小沢 あき(guitar)<http://www.k4.dion.ne.jp/~akizaci/live_info.html>   ご予約・お問い合わせ: やぶさいそうすけ   サイのせなかにのって空に絵を描く,ミロコマチコ   サイのせなかにのって空に絵を描く 画家でありイラストレーターでもあるミロコマチコさんが、善光寺坂(言問通り)の工房・ギャラリー「やぶさいそうすけ」の天井画を描きました。(2011.8.27~31) 9/2(金)から10/8(土)までの期間、この天井画の下で、ワークショップやライブなど様々なイベントが催されます。
サイのせなかにのって空に絵を描く
 

8月27日 おそれて、こわがらず / 権上かおる

みなさま 権上です ・以下の2本が放映されます。 なかでも「アメリカから見た・・」は、最初の放送で事実誤認部分があったようで、訂正したものの再放送になるそうです。 2011年8月28日(日)夜10時から ・ネットワークでつくる放射能汚染地図3 ・子どもたちを被ばくから守るために 2011年9月4日(日)再放送 ・午前0時20分~(土曜深夜)アメリカから見た福島原発事故 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0814.html ・文部科学省 の委託事業として、公益財団法人原子力安全研究協会が内部被ばく医療研修のHPが開設されています。 除染でこれからよく耳にすることになるプルシャンブルーやキレート剤の原理などの解説もあります。必要な時に参考になると思います。 http://www.remnet.jp/ 以上 関連投稿: 6月4日 おそれて、こわがらず / 権上かおる 7月3日 おそれて、こわがらず / 権上かおる 8月17日 おそれて、こわがらず / 権上かおる 関連投稿:
  1. 6月4日 おそれて、こわがらず / 権上かおる
  2. 7月3日 おそれて、こわがらず / 権上かおる
  3. 8月17日 おそれて、こわがらず / 権上かおる

あいおい古本まつり目録商品を店頭に並べています。

明日あさっての「あいおい古本まつり」の共同目録に参加して、今回初めて目録作りをしました。古本市会場では、それぞれご注文の抽選結果問い合わせと受け渡し、発送作業も行われます。注文くださったお客さま、どうぞ楽しみにしていてください。で、信天翁もジャンジャン発送!といきたかったのですが、それはまたこれからの課題のようです。ひゅるるる〜。掲載商品を今日になって店頭在庫として棚に並べてみたら、紙の上の記述が・・・

本の贈り物

松丸本舗が本をプレゼントする新しいスタイルを提案しています。


まず、「本屋の絵はがき BOOX便」

2冊の文庫本が箱に入っています。この箱に切手を貼れば本屋の絵葉書が完成です。

詳細はこちらを ⇒ http://www.matsumaru-hompo.jp/?p=1133


そして、もうひとつは、結婚式の新スタイルギフト「引出本」

引出本.jpg


ゼクシィAnheloと松丸本舗とTHE COVER NIPPONのコラボレーション企画。

ウェディングのプロ、本のプロ、ギフトのプロが集まって、「“ものがたり”と“こころ”を贈る」新しいギフトのかたちをつくりました。

~チラシより


同世代男性向けの本のラインナップの中に山口晃『山口晃作品集』(東京大学出版会)があります。


含蓄を好む同世代の男性には、新鮮な発見に出会えるユーモアと知性の詰まった作品集やエッセイを
~チラシより

同世代男性向けとして選ばれているもう1点はクラフト・エンヴィング商會『ないもの、あります』(ちくま文庫)⇒http://www.ohraido.com/book.php?c=55&id=374


詳細はこちらを ⇒ http://www.matsumaru-hompo.jp/?page_id=1023


ないもの、あります (ちくま文庫)

ないもの、あります (ちくま文庫)

  • 作者: クラフト・エヴィング商會
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/02
  • メディア: 文庫


駒込谷根千光源寺隊 第10便 いわき応援隊「花火の前夜」 / 菊池京子

8月23日谷根千・駒込・光源寺隊第10便は、光源寺さんの車で小松崎栄一さんの運転、同乗菊池京子で行ってまいりました。出発は7時半。この日の目的は、 27日(土)に久ノ浜で催される奉奠(ほうてん)花火大会の準備の模様と情報収集 6月30日に閉鎖になった四倉避難所から仮設住宅やご自宅に戻られた方々のうち「ふくしま・いわき・応援団」の「つながるハガキ」で現住所をお知らせくださった方々が、その後どうされているか、お訪ねしてこよう の2点です。以下、この日の活動をご報告します。 1. 久ノ浜漁港(10時10分) 最初に、久ノ浜漁港の様子を見に直行しました。  漁港入り口付近では、20人ぐらいのボランティアらしき団体が、瓦礫やごみの片付けをしていました。漁港の奥まで行くと、さらに奥まった場所に、こんもり盛り上がった小山があり、ブルーシートがかけられていました。これは汚染瓦礫やごみなどの仮置きだそうです。 張られた日よけの下では、漁師のおじさん8~9人が休んでいて、少しおしゃべりをさせてもらいました。中の一人はウニやアワビを潜って獲る採鮑組合の組合長さんで、「今、海の中ではウニもアワビも激減でウニは3割、アワビは半分。でも、獲れたウニはたっぷり(卵が)入っている。毎日、海に出ては浮いている瓦礫などの撤去をしている」とのことでした。漁師さんたちは漁に出られず、昨日も検査のための魚を水揚げしたが、原発のせいでいつ漁が再開できるかまったく見通しがないと、力なく笑っておられました。 2. 久ノ浜市街と諏訪神社 久ノ浜の町は光源寺隊の第8便(6月30日)、第9便(8月3日)の時よりかなり片付いて、がらんとして周囲が見渡せます。あちこちで動いている重機は、大小含めて10機を超すほどで、さらに片づけが加速していることがうかがえます。 今や久ノ浜復興活動の中心を担っている「北いわき復興プロジェクト=結」の拠点、諏訪神社を訪ねると、本柳さん(四倉から久ノ浜に移って支援を続けている)や「結」の中心である諏訪神社の宮司さん・高木優美さんが、テレビ(東北放送)や新聞の取材を受けています。この日はTBS、東北放送、毎日新聞が入っていました。 光源寺隊は、花火大会に向けてと大会当日の、久ノ浜の様子や「結」の活動を記録するよう依頼されました。当日は光源寺隊第11便も「結」のビブスを着用し「記録」の腕章を着けます。 菊池・小松崎組が着いた時間、「結」のコアメンバー約10人は休憩で神社に戻っていて、道具の修理、手入れの真っ最中。一方、私たちとほぼ同時間に東京からバスで到着したボランティア団体があり、道具修理が終わった「結」の中の何人かが、ボランティアをリードして小久川橋のたもとの草取りに当たるための段取りを始めました。 社務所には花火大会のチラシやポスターが刷り上っていましたが、チラシを配る手が足りないというのでチラシ配りを引き受けました。 久ノ浜からの避難者が多い仮設住宅、中央台(いわきニュータウン)と内郷の雇用促進住宅に配布してほしいとのことでしたが、中央台には午後、仮設の避難者を同じ住民として迎えようという活動をしている副区長の赤池さん宅があります。光源寺隊もかねてからお世話になっているので、帰路立ち寄ることにして預かりました。 もうひとつの雇用促進住宅への配布は、先ほど漁港で話したおじさんの一人が「俺は今、雇用促進住宅にいて、久ノ浜に通っているんだ」と聞いたのを思い出し、車にチラシを積んで漁港へUターン。 おじさんに事情を話してチラシを渡すと、周囲の方々が「俺もほしい」「私もほしい」と言うので、「みんなを誘って来てくださいね」と、港や漁協の建物の周辺におられる方々に手渡して回りました。 「知ってはいたけど、詳しくは知らなかったかんなぁ」「みんなで見に来っか!」「おお、いいなぁ」などなど、昼休みが少しにぎやかになりました。 この中に、中央台ニュータウンの仮設入居者もいました。 彼女は、四倉高校避難所にいたY・Iさんの友人だと分かりびっくり。Y・Iさんとは、避難所閉鎖後も、光源寺隊は連絡を取り続けることができていて、そこからの情報は継続的な支援に大きな力となっています。 「Yから光源寺さんのことはいつも聞いていました。赤池さんにも大変お世話になっています」と、出会えたことをとても喜んでくださいました。 午後は中央台に戻って赤池さんと行動するというので、チラシを託しました。 この後、菊池・小松崎組は草取りの現場へ。「結」の人たちが電動草刈りで草を刈り、ボランティアさんたちも手に手に鎌を持って草刈りし、釜を持たない方々が、刈り取られた草を大きな「tバッグ」(1t入りだから「トンバッグ」と呼んでいるそうです)に詰めていました。一人、軽い熱中症らしき人が出たので、諏訪神社までお連れしました。 この日の久ノ浜は曇りで気温は27~28度でしたが、湿度が高いとやはり熱中症になりやすいというのを目の当たりにしました。 その後、小松崎さんはこれまでの継続となる定点の撮影に、菊池は久ノ浜支所や公民館で、情報の確認や、被災前の久ノ浜の写真などを探しました。諏訪神社に戻ると結やイベントスタッフさんたちが、当日の音楽やステージ進行などのミーティングを始めていたので、その様子も撮影させていただき、久ノ浜を辞去しました。 3. 四倉に向かう(14時) 四倉の「道の駅」から少し南の、新舞子という松林沿いの海浜ラインが始まる道には入ってすぐの所の、屋台でラーメンとソースカツ丼のお店を再開している松喜食堂さんを訪ねました。 主のご夫妻は、四倉高校避難所におられた方。明るい笑顔で迎えてくださいました。 震災以前から、昼はこの先の自宅兼本店で、夜はこの屋台で営業していたそうで、本店兼自宅は津波で流されましたが、屋台はご主人がこつこつ手を入れて修理し、4月末から営業再開して頑張っているそうです。 名物のソースカツ丼はすごいボリュームで、肉がやわらかく、濃いソース味。おいしい「ガッツり飯」を、先客のガテン系の若い男性3人組が黙々と平らげていました。 4. A・Nさん宅へ 避難所だった四倉高校のグラウンドのすぐそばのA・Nさん宅に向かいました。 避難所や四倉再興祭で世話人をしていたNさん。お母さん(?)とおばあさんと、ミニダックスフントでお出迎えいただきました。小松崎さんが、再開できたことをとても喜ぶと、Nさんは前回会ったときのように、「光源寺さんには本当にお世話になって、本当にありがとうございます」と、何度も頭を下げて恐縮されました。 5. K・Nさん宅へ 四倉駅に近い新しいコーポの1室が新居。現在は高齢のご両親のうちお母様は施設に入所、お父様はこの日ショートステイでお留守で、奥さんと二人で迎えてくださいました。「つながるハガキ」をとても大切に思っていただけて、「気に掛けてもらえることがうれしい」と。その言葉がこれからも私たちの励みになります。たくさんたくさんおしゃべりしました。 6. 平のY・Iさん宅へ Y・Iさんは、久ノ浜→四倉避難所→平市街地の借り上げ仮設のコーポへ移られました。今は慣れない町の1DKで、男のお子さん2人との3人暮らしです。私的にもいろいろなことが起こる中にも、連絡など取らせていただいて、光源寺隊はこれまで彼女にとてもお世話になっています。部屋には、子どもたちの写真がたくさん飾ってあり、子煩悩なママさん。久ノ浜育ちのお子さんたちが、美味しい魚が食べたいと言うそうです。 花火大会当日は、連絡を取り合っている方々を誘っていて「みんなが、何にもなくなっちゃったけど、私のうちの跡で花火が見たいと言っている」そうです。 7. Y・Nさん あちこち回ってお訪ねするのが遅くなったのに、「待っていましたよ~」と喜んでくださいました。住宅街の中のコーポのワンルーム。家電セットがまだ届かないそうで、「ご不自由でしょう」と聞くと、あまり意に介していないようでした。来年には仕事も決まっているそうで、喜んでおられました。積んで行った日用品の中から、急須と揃いの湯飲みをもらっていただきました。私たちの訪問が嬉しそうで、楽しくおしゃべりしました。落ち着いたら東京に遊びに行きたいとおっしゃるので、光源寺に来てくださいとお誘いしました。 8. 赤池さん宅へ Y・Iさん宅を辞する17時近く、「お疲れでしょうから、うちに寄って休憩してから帰路についてはどうですか」とのお電話がありました。 お言葉に甘えて18時半ごろおじゃますると、鯖寿司(赤池さんご自慢のお手製)はじめ、美味しそうな煮物や炒め物など、「ほっとする自宅ご飯」のメニューが。ありがたくご馳走になりながら、 岐阜の野菜を提供してくださったボランティアの方の話 14日に開いたお盆+花火大会のイベントの話 14日をきっかけに広野町からの避難の方々が自主的に声を上げて実現した「広野町の盆踊り」 などなど、いたく感激して話してくださいました。 名残惜しくも20時寸前に辞去。栄養ドリンクと缶コーヒーとペットボトルのお茶までいただき、至れり尽くせりの心温まるおもてなしに、しばし疲れも忘れました。 「お顔を知らない初めての方でも、光源寺さんのボランティア活動の方がいわきにみえたら、いつでも休憩所として寄ってください」とご夫婦からありがたいお言葉をいただきました。  22時半光源寺帰着。以上、8月23日光源寺隊第10便、いわきでの全行動です。 小松崎さんのe-komatuszakiで、この日の模様をご覧いただけます。 (報告者=菊池京子 e-komatuszakiの動画は、撮影、音楽、構成ともに小松崎栄一さんです。) 関連投稿: 【募集と報告】駒込谷根千光源寺隊 関連投稿:
  1. 【募集と報告】駒込谷根千光源寺隊

[募集]8月29日(月)光源寺境内の「東日本大震災チャリティー盆踊り」の売り子募集

8月28日(日)、8月29日(月)の日、 駒込大観音の境内で4町会合同「東日本大震災チャリティー盆踊り」があります。8月29日のビール、綿あめの売り子が4名足りません。 どうぞ、支援の皆さんでふるって、お願いします。(28日は人手は足りています) ご連絡を光源寺にお願いいたします。TEL/FAX:03-3821-1188 4町会主催ですが、光源寺隊も、焼き鳥、綿あめ、ビールを出店します。町会の利益も含めて、光源寺隊の支援活動にいただくことになっています。お天気は晴れそうです。 [お知らせ] 8月23日の昨日、光源寺隊第10便が福島県いわき市の久が浜と四ツ倉周辺に出ました。運転は小松崎栄一さん、同乗は菊池京子さんです。 小松崎さんにお願いして、ユーチューブで、現在の浜の状況を定点観察して届けています。ボランティアに行ってくださる方を増やすのが一つの目的です。皆様の支援金を使わせていただいています。e-komatuszakiでご覧いただけます。ネームもこれから補足し、充実させていきます。 また、菊地京子さんは、避難所で繋がった方々の現在の生活状況を6~7軒訪問できました。また、いろいろな方のご縁で、先日、この生活困窮の方々に、岐阜の農家の方の提供による野菜、いわき市中央台のご提供による日用品などを繋げさせていただきました。これら詳細は、まとめて後日お知らせします。 8月27日(土)にも、久が浜の再興への花火大会のため、光源寺隊11便がでかけます。現地に出かけられない方の思いもいっぱい乗せて支援にでかけます。 駒込大観音 光源寺 島田富士子

土佐の鬼才


日経ビジネスONLINE・記者の目に梅原真さんが取り上げられました。

「土佐の鬼才、森林の森林のブランド化に挑む」

『おまんのモノサシ持ちや!―土佐の反骨デザイナー・梅原真の流儀―』(日本経済新聞出版社)の著者、篠原匡さんによる記事です。

見出し

価値のないモノをブランドに

森林率は1位も工業化の進展具合は最下位

「これって何?」がスイッチを入れる

何もない砂浜が唯一無二の美術館に

「Tシャツアート展」は世界に羽ばたく

ブランド作りの第一歩は関心を呼び覚ますこと



こちらからご覧ください。
⇒ http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20110818/222141/?P=1


震災日録 8月15日 お盆の終わった日

みんな疲れた顔をしている。昨日の夜までアンガマーで、朝は早くからお墓で先祖を送る。和泉屋の上勢頭たつこさんに話を聞く。戦後の青年たちが解放感溢れる頃、登さんと結婚したのだが、どんなにかわゆくいらしただろう。その後、子を産み育てながら民宿を経営して来た。なくなったご主人を「やさしい人でしたよ」と回想する。島を守ることに駆け回っていた登さんは24年前の町並みゼミで実行委員長をつとめていらしたと記憶するがオートバイ事故で亡くなられた。しかし彼の活動は今も島で継承されている。神司を引退された富本定子さん、踊りの師匠上勢頭同子さんにも宇宙を感じるような壮大な話を聞いた。さすがに疲れてぐっすり眠る。

震災日録 8月14日 同世代の苦労

お盆の最終日。狩俣恵一さんは沖縄大学教授で、『芸能や神事から島の未来を考える』ことをライフワークとしている。私より3つ年上だが、島から大学までいくのは並大抵ではなかった。

「30までに目鼻がつけばいい、くらいでまず東京に出て二年、新聞配達などで働き、お金を貯めて国学院大学に行きました。生活費どころか、授業料も自分で払った。だからバイトするより勉強して授業料免除にした方が得だという結論になった。卒業してからも一年バイトして大学院に進みました」。親に授業料を払ってもらって。

自宅から通った私は少し恥ずかしい。奥さんの志穂さんも竹富育ち、両親とも先生で「そんなうちからお嫁をもらうのは恐れ多い」とお母さんのハツさんは不安があったが、今みていると人もうらやむ嫁姑だ。狩俣さんは那覇からかよって竹富島のいろいろな問題に社会学の家中先生とともにアドバイスしている。今日、まずは竹富島入門編。歴史、歌謡、芸能、神事、工芸、衣食住、ことばその他、何でも聞いてみた。

お昼ご飯は冬瓜と豚の汁においしいご飯、チャンプルー。

午後は長堂さんの母堂のところへ行く。神奈川の海老名から娘さんがお盆で帰り、天ぷらをたくさんあげながらおばあの話を聞いて笑いをこらえている。本島の糸満育ちのおばあは戦前に台湾で竹富島の人と知り合った。ウミンチュなので言葉がはっきりしている。「あんたみたい若い人にいってもわからんだろな」と言う。

そのあと町並み調整委員会委員長の大山さん宅により、この頃起こっている島の問題について話を聞いた。国の重要伝統的建造物群保存地区になってから「売らない、貸さない、けがさない、そして活かす」というすばらしい竹富憲章を作ったのに。この国は自由主義経済の国で知らない間に売買され、そこで観光目的の商売をする人が後を絶たない。島の文化、風習、ユンタク(おしゃべり)、ユイマール(協力共生)などに理解がない住民が増えつつあるという。

お盆の最後の日、公民館館長を務め、前からよく町並み保存ゼミなどでお目にかかる上勢戸芳徳さんの赤瓦の家でまたすばらしいアンガマーをみた。東集落が着物もそれぞれで本土の盆踊りなどを取り入れて気楽で楽しい感じなのに対し、西は芳徳夫人、同子さんが踊りの師匠として若い子に教えているので、衣装も伝統的な紺地の着物、たもとはあついので筒袖、お端折もなくつっ丈で短く着る。帯は幅が狭く前で結ぶ。アンガマー最高潮で雲の上に明るい月が出た。なくなった父のことを思う。東京でお盆に迎え火をたかなくなったのはいつからだろうか。

震災日録 8月13日 アンガマーに月がかかる

お盆の二日目。あちこち話を聞いたり、前から知っている家に『御霊前』と書いた袋のなにがしかのお金を包んで、お参りして歩く。うずたかく積まれているが、おたがいやったりとったりだ。石垣や那覇の親戚も帰ってきたり、お参りに来たり。面白いのはここの人はもちろん、私たちのことを本土の人、ヤマトンチュ、というが、『沖縄の人』という表現も使う。那覇は沖縄で、沖縄県のうちではあるが竹富は八重山人なのである。今日は松竹荘の松竹昇助さんに話を聞く。アダン、月桃、クバ、芭蕉などを使って蓑笠、枕、バッグ、うちわなどの手工芸品を作る名手。昭和4年生まれで戦争中は護郷隊にいた。面白かったのはヤブ医者の話で、というか奥さんの実家が近代西洋医学を学んだわけではない医者の家系で、漢方の知識を多く持っていて見立ては確実、よく直ったのだそうだ。そのあと来た本当の医者もその人によく聞いたそうで、ヤブといいながらも昇助さんの語りには愛情がこもっていた。

午後は島仲家へ。はじめて船主となった家、当主ヨシノブさんは藍染めを仕事とし、カマンガーをつとめる。妻由美子さんは島の織物を担う人だが、何年か前、空白だった中筋の神司になった。神司は島の神事を司り、各集落の御嶽(うたき、オン)の神様に氏子の健康や幸せを祈る。「大変な仕事ですが、神様からの知らせがあって、引き受けないわけにはいかないのです。私は元々西集落(いんのた)の生まれで筋ではないんですけど」。先輩司たちに支えてもらいながらつとめているということだ。

この日、東(アイノタ)集落のアンガマーは高那旅館、イナシャという家。家にはそれぞれ屋号がついており、イナシャはすばらしい赤瓦の家で、それを開け放つとイヌマキの柱が鈍く銀色に光り、まるで能舞台のように見えた。

震災日録 8月12日 昔は茅葺きだった。

今日からお盆でどこの家も仏壇にご先祖をまつり、好物などで飾る。男の人は意外に手すきなので、午前中、狩俣恵一さんのおとうさん、狩俣正三郎さんの話を聞く。宮古のウミンチュを父に持ち、寄留民として苦しかった。

「父は魚を捕ってくる、それを売りにいきました。それは父の酒代になる。だから僕は漁師じゃなくて農業をめざした。学校を出てから神戸の川崎製鋼の養成校に行って三年学びながら働きました。そのとき1000人の仲間を統率した経験が戦後島で生きました。字を書けない人のための補修学校をやったり」

いっぽう人の二倍は働いて、その働き者なのと、体の健康さを見込んで前の大家から嫁が来た。昭和40年代に押されて町議になり4期務めた。

「昔のことは思い出したくないね。でもウミウリ(3月3日、海下り)の日にソーメンチャンプルーなんか作ってみんなで楽しんだのは忘れられないね」

「うちの前を素通りするなよ、話がまだあるかもしれないからまた来てください」と奥さん手製のおいしいスバをごちそうしてくれた。

午後は狩俣夫人初さんの実家、大家のはるえさんに話を聞く。嘉手川という中筋の長老がお父さん。「竹富は5寸掘れば珊瑚礁、米はできん。だから西表や由布島にいって田んぼを作った。田小屋をつくっていったら泊まりきりで田植えをしたり、田草をとったり。食べ物は粟を炊いたり、サツマイモの団子くらいだった。大変だったさ」西表はマラリアが猖獗。「パパイアの芯をつないで、芭蕉の葉の上に寝かせて、上から夜中水をかけて冷やした。水も貴重だったのにね」そのころは今のような赤瓦でなく茅葺きだった。専門の大工はいなくて家でもなんでもゆいまーるで協力して作ったという。「昔の方が人が温かくて仲良かったような気がするよ」とはるえさんはいった。

この日、アンガマーを拝見。あの世の芸能者が顔を隠し、クバの笠をかぶり、クバの扇を持って行列する。ヒヤラクとかいうかけ声に意味はないらしいが、うらごえなのはこの世のものではないから。今日は内盛荘と民宿マキ荘で。青年会のエイサーもみる。

震災日録 8月11日 水の一滴は血の一滴と同じ

朝、内盛スミさんに話を聞く。スミさんの兄弟も9人、夫正玄さんの兄弟も9人、スミさんはうらの東里家から嫁いできた。

「そのころ鶏がよその庭で卵を産むことがあるとおれのものだ、いやうちの庭で生んだのだからうちのだ、とけんかしたものだけど、嫁にとる気があったのか内盛と東里は仲良くして産んだところのもの、というルールを決めたのよ。だってそのころ卵は貴重品でソーメン3束に交換できたのだものね」

お姉さんが台湾で働いたので、自分もいきたかったが戦争は激しく、台湾行きの船も出なくなっていた。スミさんは竹富守備隊の兵隊の炊事などに徴用された。

「弟が20年の5月8日に産まれて3日目に空襲があった。それとあいやる浜に米軍機が落ちて乗っていた米兵が連れてこられた。背が高くて石垣からぬっと首が出ていたのでこわごわみてたの。ナージフルか、と思ったよ」

白地に藍の模様のミンサー帯を織っているところ。

昼過ぎ、古堅セツさんの話を聞く。重要文化財与那国家のトーラでくらし、与那国の家の庭や建物を管理している。ガーナー(島名前)がマーチなのでマッチゃんおばさんと親しまれている。旦那さんをとうになくし、学校の用務員や給食の手伝いをして子供たちを育てた。竹富は水の一滴は血の一滴、井戸はあったけど干ばつも多かった。

「戦後、アメリカが船で水を持ってきてくれたときはうれしかった。リアカーにのせて各戸に配ったよ。石垣島から海底送水で水道が引けたのは昭和51年10月1日。そのときのうれしさといったら」

当時の石垣市長さんありがとう、と歌い込まれたお祝いの歌を歌ってみせてくれた。フーチバー(よもぎ)は熱冷まし、シロハナセンダンソウ、アキノノゲシ、など「野山が食べてくれと私を呼ぶよ」とセツさんは言って手製のハイビスカスジュースを冷やしてくれた。

夕方になるとコンドイ浜で少し泳いで、夜はヴィラ別邸で内盛ショウセイさんたちと飲む。名前はすごいが値段は実にリーズナブルなおいしいレストラン兼飲むところ。

震災日録 8月10日 24年前の竹富

沖縄へ。竹富島のおじい、おばあの話を聞くのを手伝ってくれないかと家中、狩俣両先生から依頼あり、島の若者や後継者が聞き書きする態勢をつくるためにとりあえずいくことに。この島には24年前、町並みが国の伝統建造物保存地区になったときに町並み保存ゼミが開かれて、そのとき一歳の次男を預けていった。それは初めての沖縄だった。珊瑚礁の石垣の続く、砂の道を歩いて日夜、おたがいの民宿を訪ね合い、ヨッピて語り合った思い出がある。泊めてもらった沖縄そばの竹の子は代が替わって大変な人気店になっていた。あのときはカウンター3、4席のうすぐらい店だったが、ピーヤシー(島こしょう)を振りかけたそばは台湾そばのようでもあり大変おいしかった。かべにはおじいが叙勲されて皇居まで出向いたときの和服盛装の写真がかかっており、こんなに遠いのにあれだけ日本国にひどい目にあったのに天皇制が人々の心に根を張っていることに驚いた。竹富を土地の言葉でテードゥンと呼ぶ。今回は中辻部落のヴィラ竹富にとめてもらう。若い頃は相部屋の民宿も楽しいものだが、この年になるとバストイレ付き、クーラーの効いた部屋に一人でいるのは快適。夜は呼んでくださった狩俣先生の実家、前にお世話になった民宿内盛荘のスミさんなどに挨拶。スミさんは踊りや歌の名手であり、伝統的な織物の名手でもある人だが、85歳のいまも気分は18歳で、民宿のヘルパーの女の子にもスミちゃんと呼ばれている。夜、お盆の芸能の練習をみてからたるりやで家中先生、泉屋の上勢頭篤さんたちと飲む。

震災日録 8月9日 使いやすいタンス

あたらしい箪笥が来た。結婚したときに買った箪笥は旭川木工の無垢材のいいものだったが、北海道の乾いた気候に合ったもので、アパートの湿気と上に載せた本の重みで、引き出しが開かなくなり、やがて壊れてもう十数年、しかし箪笥を買うためには部屋全部の掃除と本をどかさなくてはならず、長らくあきらめていたが一念発起して、スライド式の箪笥に変えた。二段分は着物が治まり、服はすべて収納。起立木工というメーカーの食器棚を前に通販生活で買ったがこれがとても使いよいので、同じメーカーのを買った。こんなことがうれしくて、娘に開け閉めしてみせたりする。