震災日録 5月20日 原発20キロまで走る

今日は午前中、おやすみ。白水の国宝阿弥陀堂を見学。藤原清衡の娘徳姫が磐城氏にとついだが夫が早く死に、供養のために建てたもので、庭園は国の名勝で浄土思想を著した素晴らしいものだ。壊滅的な海の近くと西方浄土のようなのどかな風景とあまりに差がある。それでもお寺の方は平泉は世界遺産になったがここには風評被害でちっとも拝観者が来ない、と嘆いていた。そのあと彌勒沢の石炭資料館に行った。渡辺為雄さんが一人で作り上げたもの。今86歳、昭和37年まで炭坑で働き、そのあとは養鶏場でとってももうかってほくそ笑んだの、とユーモアたっぷりに語る。「でも今年は山菜も採らないし、野菜も遠くのを買って食べているの。このあたりタケノコもたくさん出るが、あんなに蒲団(皮)を着ているけどシーベルトが入っちゃってとても人にあげられない。でもほっとけないので、毎日掘っては線香を半分に折って火をつけ、申し訳ない、と竹の精にあやまってから捨てているの」ということであった。土地の惠みの中で生きてきた為雄さんならではの言葉。まだまだ石炭は埋蔵されているんだそうですね、原発はやめてそれを掘れば、というと、「いやいや、地球温暖化もありますから自然エネルギーに転換していかなければ」と打てば響くように答えが帰ってきた。

夕方、北上して豊間、薄磯あたりの海岸線を視察するも瓦礫処理の車多く、立ち入り禁止のところ多し。持ち主の解体同意があるとこわしていく。それにしても自分のうちに「こわしてください」という紙を貼る住人の気持ちは切ない。茫然として瓦礫を片付ける人々。犬を連れて何かを探す人。瓦礫の中に見えるスヌーピーやクマのぬいぐるみ。

新舞子ハイツは営業中。そのさき四倉、久之浜を走る。地域紙仲間「久之浜通信」はどうしているか心配なれど連絡つかず。電車はここまで。さらに原発へ向け30キロ線を突破し、20キロまで走る。このためにガイガーカウンターをあちこち手配したが得られず。しかしまだコンビニもラブホテルも食堂も営業中。検問直前20km地点のJビレッジは東芝の看板、医師と看護師が昼間は待機しているという。大分の救援部隊がいたが誰も防護服のマスクもしていない。20km地点でマスクもしていない係員に制止される。大丈夫なのかな。反対車線は原発からの作業員の車がひたすら続く。

四倉高校では校庭で野球部が練習中。第一体育館にも高校生。第二と柔道場が避難所に100人、きょうはインドのカレーとサラダ、野菜ジュースを配る。バングラディッシュとはちがうスパイシーなカレー。ライスとカレーを別盛りにしてくれという人あり。作ってくれたのはコルカタ出身のラフメドさん。ブログを書かなくてはという人あり。「はじめは400人いたんです。この2ヶ月のこと何も覚えていない。トイレが汚かったことくらい。毎日あれもしなくてはこれもしなくてはと思っているうちに1日過ぎる。海が好きだったのにもう怖くて見られない」

宿に帰りお風呂で温まってから以前講演によんでくれたいわきJCの小泉さんとOB有賀さんの話を聞く。それぞれ設備関係の会社経営で震災以降、働き詰め。そのお仕事自体、生活の復旧にかかわる急務だ。瓦屋さんは2年待ちだという。「震災、津波、原発、風評被害の四重苦の上、家に不幸があったりまだ小さい子どもを心配したりと2ヶ月飲み会なんか出られなかった」。いわきにモスクがあり、炊き出しをしていることはご存じなかった。いっぽう避難所を出る人たちのためにモスクが蒲団を買っていることを話すと、平競輪場に蒲団がどっさりあるのでは、という。ここでも物資は集まったが、その荷をほどき、しかるべき分配をする人がいないらしい。

震災日録 5月19日 ガンボロー

松柏館はインターネットでは湯本温泉のなかでも高評価を得ており、主人は比佐氏、昔の本陣だ。宮尾しげをや田中比佐良の絵がある。戦時中は中野区の啓明小学校が集団疎開していたとか。戦後、高松宮妃が泊まったこともある。通された部屋は一階で広い庭に面していた。朝、庭に出ると石灯籠が倒れている。藤棚の藤が見事だ。支配人は「こんな小さな宿でも43人、従業員がいたんですが、震災後、設備も壊れお客が少なくて13人でやっています」という。営業していない旅館もかなりある。お父さんは常磐炭坑で働き「上がってくると毎日温泉に入って、それをあたりまえに思っていました。今思えば贅沢な話ですよね」という。常磐炭坑は宮嶋資夫「坑夫」にも描かれている。宿の裏には登録文化財のすばらしい映画館があった。

朝に小名浜港に入っている原発汚水処理船メガフロートを観に行って、9時にモスクに到着。今日は南の森にカレー。コックのマクブルさんは「わたし、2週間ずっと日本人にご飯作る。お金ないだから体だけサービス」となんども言う。きのうは配食しながら「食べないと体、元気ないよ。いっぱい食べてガンボロー」といっていた。働きながらも時々しゃがれ声で「ガンボロー」とさけび、私たちも唱和する。こういう時のガンバロウは元気が出る。

サニーレタスを10個とレタスを20個買ってこいという。そんなにいるのかな。安くて品物がいい店を探す。買物にも時間がかかる。買ってくると真ん中の芯のところをぼかっと叩いてとってしまい、外の皮を何枚もむき、固いところや茶色いところを取って洗ってちぎれという。主婦からするともったいない千万だが、しきるのはマクブルさん。「日本人、目で食べる。茶色い葉、だめ。堅いのもだめ」という。たしかに。サラダがしおれていてはまずい。多いのはまだしも、足りなくては困る。100人分というのが実感がわかない。カレーの野菜の切りかたにも彼なりの流儀があり、いわれたとおりやらないとちょっとおかんむり。「むいて、クイックリー」としかられる。私から見ると油の入れすぎだと思うんだけどなあ。

1時に作業は終わり、地域紙仲間の「日々の新聞」を平競輪場近くに訪ねる。安竜さんと大越さんの話は映像で撮ったのでそのうち。「がんばっぺいわき」「がんばれ東北」の翼賛ムード、原発の放射能の過小評価にもあらがって取材活動を続けている。4時ころ文京区からボランティアの加藤さんが2ヶ月居続ける平工業高校へ。

ここのようすも映像で。避難所が閉鎖になったあと、1人暮らしに戻るお年寄りが心配だという。

カレーとサラダは南の森へ。98人。私たちは江名小学校60人へ手伝いにいく。ラジャさんの友だちの若い女性が筑前煮を作ってくれた。それとご飯、サラダ、りんご、オレンジ、野菜ジュースなど。かなり避難者は減って大きな立派な体育館にぽつりぽつり。乳幼児4人を持つお母さんもいる。聞くとご主人は入院中だそうだ。障害を持つ子どもさんもいて心配。「あの日から人生が変わってしまった」というひとも。この日、大塚モスクからアキルさんが新しいコックさんを連れてきて、マクブルさんは帰ることに。なんでいわきに来るんですか、とアキルさんに聞くと「東京から近いし、モスクはあるし、人がいきたがらないから」と簡単明瞭。車が故障したことを「車が病気になった」というのも面白い。7時に終わったので、安竜さんたちとまた意見交換。たった1人でいわきで放射能から子どもを守るママたちのデモを実現させた鈴木薫さんの話を聞いた。これもそのうち映像で。政府・文科省は勝手に子どもを含め放射能の被ばくの上限を20ミリシーベルトに引き上げたが、公表されている放射線量の測り方にも疑問があるし、原発労働者で7ミリシーベルトで発ガンした例もあり、子どもたちを早く福島から避難させたい。といってもみんな何らかの事情と都合の中に生きており、避難所の乳幼児を見ると親に「はやく逃げて」といいたくなるが、とうてい言える状況にはない。

震災日録 5月18日 岡倉天心六角堂

震災以降の3月13日から被災地支援を続けてきた大塚モスクの要請で、いわき市に炊き出しの手伝いに行った。2002年秋アフガニスタン支援以来、大塚モスクに協力してきた本駒込の池本達雄さん・英子さん夫妻、運転は区議の浅田やすおさん、そして私。朝8時集合で常磐道を走りだした。今日は配食の手伝いをすればいいので、ゆっくりいく。

勿来インターで降りたら岡倉天心美術館への道が出ていたので、「そうだ! 五浦の六角堂が津波で流されたんだった」と思い出し、よっていくことに。ナショナルトラスト理事ですというと開けてくれ、見学することができた。松のはえた断崖の上にあった国登録文化財六角堂は白木の床だけ残してすっぽりなかった。お堂は海の中にあるらしく捜索中。回遊路も崩れていた。美術館も五浦観光ホテルも休業中。

昼はカニ飯の店へ。「築地より直送」の垂れ紙。茨城平潟港は操業していたが県境を越えて福島に入ると禁漁。

勿来のボランティアセンターに寄ったが、もう撤集準備で話を聞くことも断られる。

さらにいわき市勿来支所で話を聞く。いわき市は合併したのはずいぶん前だが勿来、常磐、内郷、平、四倉、久之浜と5支所に分れている。所長、課長さんの話。

「3月11日からほとんど家に帰っていません。3月11日で震度6強で長い時間揺れました、ガリガリガリと2分何秒かな、肝をつぶして外にも出られないくらい。思えばチリ津波の時から地区本部を設置して、組織づくりはできていたんですが。各地区では訓練もよくしていましたが何しろ広域で、平の市役所は指揮をとりきれませんでした。だいたい電話がつながらなかったし。勿来だけでピーク時4890人避難者がいました。

避難所のご飯は、各区で米や食材を供出して区長の奥さんとかお嫁さんが何百食も炊き出ししてくれました。おにぎり、つけもの、味噌汁くらいですね。避難所だけでなく自宅で暮らしている独居老人にも届けました。最初は食糧が来なくて苦労しました。生野菜?農村はあるといっても冬は葉ものはないですからね。原発の水素爆発のあとはいわきの人もずいぶん避難してましたし。

物流が風評被害でいわきまで入ってこなかった。それは福島沿岸部を走る車がいわきナンバーだからです。いわきナンバーの車はガソリンスタンドやレストランでも入るなって張り紙された。いわきの農作物も流通では避けられていますね。悔しいです。

水道、ガスが出なくなってやっと復旧したと思ったら4月11日にまた揺れてふたたびライフラインがだめになりました。困るのはトイレです。水がでないから。携帯トイレは必要ですね。津波は港によって違いますね、向きや形が違うから被害が違う。何で隣りは無傷なのにうちは全壊なんだ、と。そういう差が出てきてしまう。ボランティアの方たちが瓦礫の撤去を手伝ってくれてありがたかったです。長靴に軍手でやっていて慣れてましたね。そのころはまだ瓦礫の下に行方不明者がおられました。

そのうち物資はどっときて配りきれないくらいになった。洋服なんかはやはり人の着たのはいやだと言いますね。新品があるんだし。あるときまで寒かったけど、いまは温かくなって冬物はあまっています。土日に必要なものを持って行ってくださいと言ったんですが、多少は便乗の人も来ますよね。タダでもらえるならと。

全壊、半壊の人に福島県で市内のアパートなどを借り上げて1年無償で貸すので、避難所の人数もだんだん少なくなっていきますが、それでも希望と違うのでいやだという人もいますし、新生活をはじめるのに赤十字が配る家電製品のセットを待っている人もいます。

海は原発のこともありますが、海中に船が沈んでいて網がスクリューにからまったりするので操業は無理でしょう。田んぼもヘドロが入って、塩分もあるので、2年くらいは田植えは無理でしょう。これから市役所が三食お弁当が出る体制を作りましたが、やはり温かい炊き出しのほうが皆さんよろこぶので、これからもお願いしたいです。そしたら弁当のほうを断りますから」

いわきモスクは泉にあった。車のディーラーのラジャさんの案内で到着。ラジャさんは30代のパキスタン人、イスラマバード出身。日本語、ロシア語、タガログ語も話す。モスクにいるムスタファさん、バングラディッシュ人のコックさんマクブルさん、「なかなか来ないので心配しました」という。今日は5時に勿来市民会館と勿来体育館にカレーとサラダを配食。ムスリムは豚肉を食べないのでチキンを使う。

市民会館は階段を上がって2階の和室2室にお年寄りたちと子供のいる家族たちが分かれていた。家は全壊したものの、昼間は働きにいっていたり、学校に行ったり、家の片付けに行ったり、病院に通っている人がいた。「なにが食べたいですか」と聞くと「さしみ」とのこと。浜の人たちはいつもとれたての魚を食べて暮らしてきた。子どもは「お菓子が食べたい」とのこと。もうひとつの体育館では「酒が飲みたい。ここは学校の体育館なので禁酒。でもこの雰囲気じゃね、飲んでもうまくない」というひとも。

生野菜のサラダをよろこび、残りをもらっていいかしら、と年配の女性がタッパーに入れた。

モスクに戻ると夕べのお祈り。メッカのほうを頭に何度もひざまずいて頭を床にすりつける。「膝に来ませんか」ときくと、「年取るといたくなる」とうなずく。

湯本温泉松柏館という由緒ある宿に朝食つき3500円でとめてもらった。ただしエレベーターは停止、朝は湯に入れない。原発関連会社の作業員たちと広野町からの避難者も泊まっている。お風呂で高校生らしき女の子が原発がいつ収束するのかずっと話していた。かなしくなった。

震災日録 5月17日 スレートの募金口座 

一日、家を掃除して社屋や家を流された北上町の熊谷さんがほしいといった「蒲団、食器、調理器具」を仕分けする。シーツは洗濯し、3組の蒲団を用意でき、7時前に熊谷産業の沖元さんがとりにきてくれた。ヤマサキは15日から宮城の登米にいる南三陸町からの避難者にカラーボックス、辞書、文房具などを届けにいってきた。息子岳ちゃんの運転でかなり遠かったもよう。「南三陸の海沿いを走りながら、「こんなに瓦礫が片付いた」「ウニが育ち過ぎている、早く海に出たい」という話を聞くと、初めてみる被災地の風景に呆然としている顔を伏せたくなりました」とメールにあった。

雄勝天然スレートを復興したい方たちの募金先を作る。個人名でない郵便貯金を作る時は会員や会の規則などを書かなくてはならないが、白山の郵便局員が親切に協力してくれ、あっという間に作ることができた。

読売の都内版で連載が延期されていたが「森まゆみのむかしまち散歩」として6月2日から始まることに。ほっとした。が忙しくなりそう。

震災日録 5月16日 公務員の残業代

昨日の熊谷さんのお話のなか、名取市の職員の総残業代は3億ではなく1億6千万でした。お詫びして訂正します。といっても職員ひとり当たり30万。私としては残業代をもらうのは労働者の権利だとは思いますが、いっぽう家も仕事も失った被災者にまだ1銭も出ていないことが問題だと思います。名取市だけではなく被災地の他の自治体でもそうでしょう。神戸などでは災害時の公務員の残業代は青天井ではなく制限を設けているようです。批判が起きるのは今回、自治体の事務職員が全体として住民からよくやった、といわれる働きを見せていないこともあるかも。「今回、いちばん頼もしかったのがご近所とボランティアと自衛隊。役に立たなかったのが役所の中間管理職と議員と縦割り行政」(いわき市のAさん)ほか同様の意見をたくさん聞いています。

もうひとつ熊谷さんのお話で、大川小学校の避難については住民が不適切な示唆をして教員が迷ったという説もあるようです。まだ真相はつかめませんが、子どもを失った親の気持ちを考え、二度とこのような惨事を起こさないよう、ちゃんとした検証と教訓を引き出してほしいものです。

この日、7時、谷中コミュニティセンターの建て替えをめぐる話し合い。住民の代表による検討部会で基本計画は策定されたものの、まだそれは住民全体のものとなってはおらず、3・11のあと、本当に役立つ防災センターを作るにはもう少し、みんなの知恵を集める必要があるのではないか、ということになった。谷中コミュニティセンターは区を越えて利用されているものなので、この場合、住民とは文京区民も含みます。おなじく森鴎外記念本郷図書館は台東区民もよく利用していますので、図書館の運営については台東区民も意見を言っていいのです。行政の縄張り主義にはあきれる他ありません。もちろん休日の午後などに災害が起これば、多くの散歩や見学者も防災広場やコミュニティセンターに逃げ込むでしょう。

パウル・クレー、ファン・グリス、アントニ・タピエス、ベルナール・カトラン

[ ご注文、お問い合わせは albatross@yanesen.net まで ] 洋書画集、図録です。テキスト独語、スペイン語、仏語等につき内容解説等詳細案内できませんが、いずれも本の状態は概ね良い方だと思います。 ・PAUL KLEE  DIE KUNST DES SICHTBARMACKENS                  BENTELI 2000年 ¥15750    テ・・・

いわき市への支援に(報告その1)

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 5月18日~21日にかけて福島県いわき市に行ってきました。(報告その1)
 支援活動を熱心に熱心に続けている池本英子さんから、「避難所への炊き出しで、カレーが飽きてきている。別の料理にできないか。魚が食べたいという要望がある」と連絡がありました。

 私は、学校給食調理の経験があり“カレーなら肉じゃが、魚は煮魚にすれば大量調理は可能なので、了解!支援に行きましょう!炊き出しは、任せてください”と返事をしました。
 
 池本英子・達雄夫妻、福島を是非取材したいといっていた、森まゆみさんの4人で、いわき市に向かいました。
 
 支援にあたって「何故、被災地から遠い東京から時間と経費をかけて支援に行くのか?近隣の福島県の人たちによる支援で間に合わないのか?」これが私の大きな疑問であり知りたい課題でした。

 今回私たちは、イスラム教徒の「ジャパン・イスラミック・トラス(宗教法人・日本イスラーム文化センター)マスジド(モスク)大塚」の方といわき市の方が、3月26日からずっと行っている炊き出し、たくさんの食料などを送る支援活動の中に入れてもらったものです。
 
 彼らは、イスラム教徒のネットワークを活用して、東京のインド料理店のコックを交代で派遣していたり、頭の下がる支援活動を行っていました。
 
 毎日、カレーが多いので、できる限り日本人の食生活に合わせた味に工夫しているとのことでした。
 
 「困っている人がいるのを助けるのはあたりまえ」・・・これが彼らの考えです。
 代償やお礼の言葉を求めたりしません。
 彼らのいわき市のモスクを拠点にただ、ひたすら支援です。
   
 私たちは、4日間で避難所になっている勿来体育館 、勿来市民会館、江名小学校 、四倉高校への炊き出しと、平工業高校を訪問しました。
 既に震災から2ヶ月が過ぎていて、立ち寄った勿来の民間のボランティア受付所も閉じる作業をしていました。 勿来支所(いわき市の出張所)の方によれば、発災直後、支所が把握しただけで31ヶ所の避難所に4,890人が駆け込み(実際はもっと多い),この地区の約10人に1人は非難したことになります。
 
 それが、5月18日避難所3ヶ所161人までになったそうです。
 仮設住宅や民間アパートへの転居がおこなわれていていました。
 それでもまだまだ足りない状況、地域で一緒にくらしていたのにバラバラになりたくない、住んでいたところから遠くになる、などさまざまな理由で避難所での生活を続けていると伺いました。

 避難所では、ダンボールで家族単位で壁をつくっているところもあれば、ビニールシートを敷いて布団を重ねていたり様々でした。
 
 私は「もし、自分がこの生活が長期になるならとても耐えられない」と思いました。
 共同生活といっても、食事を選べない、個人のプライバシーは無いに等しい状況で、着替え用のテントを張っているところもありました。
 
 炊き出しが無いときは市販のおにぎり、弁当が市から支給されますが、毎日食べていると飽きてのどを通らなくなります。
 
 ですから、できるだけ、暖かい和食、汁物という要望になってきます。
 自分たちで、調理といっても、大量に食材の注文、調理、片付けを行うとなれば、人材、調理設備・道具、役割分担、衛生面に注意も必要です。
 
 避難所の学校体育館での自炊は難しいと思いました。
 文京区では、給食が自校方式で、調理室があるので工夫すれば炊き出しは可能ですが、いわき市は条件が違います。
 私たちが、食材の買出しに、出かけたモスクから3kmほどのところにあるスーパーマーケットには、あらゆる食料品があふれていました。
 でも、地元でとれる魚貝類だけが原発事故の放射能汚染の関係でありません。
 被災地から逃れたところでは、通常の生活が取り戻しつつあると思いました。
 
 それでも、毎日、余震は続いているし、「3月11日と4月11日の不安が頭から消えることは無い」「原発の放射能がどうなるのか不安」と、私たちが出会った誰もが話していました。
 
 一見取り戻しつつある生活も、避難所にいる方も、家屋倒壊などの難を逃れた方も、みんな同じように不安な生活を送っていて、街全体が元気が無いように感じました。
 地震による家屋の倒壊、毎日続く余震、津波による壊滅的な街の崩壊、原発事故による放射能汚染の恐怖、これらが今も人々を取り囲んでいます。
 
 福島県で、いわき市で、近隣の人たちで支援しろとはとても言えません。
 やはり、東京に住んでいたり、どんなに離れていてもできる人は、支援を行うべきです。
 私も、できることを続けたいと思いました。
 雪の降る季節から、夏に季節が変わって必用な衣類も変わってきています。
 被災地の要望を的確に把握しそれを、何処に何が必要なのかを発信するシステムの確立が求められていると感じました。

鳥が舞う影

工房&ギャラリー「やぶさいそうすけ」で開催予定の、イラストレーターであり歌手でもあります扇谷 一穂[Oogiya Kazuho]さんのライブ「一枚の絵と一時間」vol.2のための内装がカーテン越しに浮かんで見えます。鳥が空中で遊び回っているかのような、ゆらゆら漂う影。会場全体が一枚の絵のような空間の中で、扇谷一穂さんのライブは開催されるそうです。 扇谷一穂さんの音を待ちわびる鳥たち。さて、どのような"一枚の絵と一時間"が紡がれるのでしょうか。 やぶさいそうすけ   ■ 扇谷 一穂[Oogiya Kazuho]LIVE一枚の絵と一時間』vol.2 <http://kazuhooogiyainfo.blog100.fc2.com/blog-entry-14.html> 開催日: 2011年 5/27(金) 時間: 開場 19:00/開演 19:30〜 料金: ¥2,500(全席自由) 出演: Vocal,Guitar: 扇谷 一穂 <http://www.kazuhooogiya.com/> Guitar: 木村 恵太郎 <http://hoaimi.exblog.jp/> 場所: やぶさいそうすけ <http://www.yabusai.net/> 住所: 台東区谷中 1-2-16

Romantica* 雑貨室

ロマンチカ雑貨室 六阿弥陀道沿い、岡倉天心記念公園斜め前。乙女心をくすぐるセレクト&ハンドメイド雑貨の店「Romantica* 雑貨室[ロマンチカ ざっかしつ]」です。(OPEN: 2011.5.2〜) オーナーのアラカワさんは、「あいうの本棚」として、友人らと「不忍ブックストリートの一箱古本市」への参加や、根津のgallery okarina Bでの展示会にも参加されていました。「Romantica* 雑貨室」は、八丁堀の知人のアトリエの一角を借りての「Atelier Huit et Romantica*雑貨室」を経て、待望の谷中でのショップオープンとなりました。
白を基調にした外観と内装、色とりどりのガラスのおはじきが嵌め込まれた三和土。甘いパステルカラーのアクセサリーやガーリーな雑貨。 ロマンチカ雑貨室 Romantica* 雑貨室   Romantica* 雑貨室   ■ Romantica* 雑貨室[ロマンチカ雑貨室] <http://www.romantica-zakka.com/> 営業時間: 12:00 - 18:30 定休日: 不定休(ブログにて確認下さい。) 住所: 台東区谷中 3-6-14 Romantica* 雑貨室  

鳥の視点

煙突を金槌とノミで叩いて崩す、などという仕事も昔の鳶職にしか出来ない仕事でしょう。 その職名を"[とび]"とは上手く付けたものです。高層ビルも飛行機もない時代ならば、電線より上の世界はの領分だったでしょう。現在では銭湯の煙突よりも高いマンションさえも建っている谷根千界隈ですが、それでもひとり煙突を叩き崩しながら谷中の街を俯瞰する鳶の視界は、キツい作業とはいえ、仕事の手を休めてふと周りを眺める時には、さぞや気持ちがいいことだろうと思います。 谷中の空  

Growing Down

スカイザバスハウス 銭湯を改装した Contemporary Art Gallery「SCAI THE BATHHOUSE[スカイ ザ バスハウス]」のシンボルともいうべき煙突が、東北大震災をきっかけに長さを短縮する工事が始まっています。(2011.5.23〜) かつては赤瀬川 源平が煙突のてっぺんに猫のオブジェを制作したこともありました「SCAI THE BATHHOUSE[スカイ ザ バスハウス]」の煙突ですが、今回の震災を踏まえて、近隣の安全のために短くすることになりました。
SCAI THE BATHHOUSE[スカイ ザ バスハウス] <http://www.scaithebathhouse.com/>
SCAI THE BATHHOUSE
  ずいぶんと短くなったような...。 SCAI THE BATHHOUSE  

STATEMENTS (six) Rita Ackermann Mark Borthwick Nicola Tyson

[ ご注文、お問い合わせは albatross@yanesen.net まで ] 新入荷ではなく長らく棚に並んでいる図録。 棚から今日呼ばれた気がした、そんな1冊です。 ・STATEMENTS (six)      Rita Ackermann Mark Borthwick Nicola Tyson           2003年 A project by Dornbracht ¥・・・

【第2弾 5/18-21】いわきに行ってきました。 / 池本達雄

大塚モスクの炊き出しのお手伝いにいかれた、チーム・アサダのメンバー池本達雄さんからの報告です。 書き方は、これまで大塚モスクから届いている支援報告の形式にのっとっています。 同じ支援の日々を過ごしてたメンバーが、それぞれ … 続きを読む

3・11を語り合う ~被災地で見てきたこと / 私たちにはどんな防災センター(もしくは避難所)が必要か?~

2011年6月5日(日)13:30~17:00(途中出入り可) 谷中コミュニティーセンター第2会議室 参加費500円(今後の広報の諸経費に当てます) 司会 森まゆみ 主催 谷根千工房 問合せ 03-3822-7623 o … 続きを読む