
泥に変わっている舌が
なにを告げようとするのであるか
遠景 死児の歯をみがく
母の姿が呪いのように美しい
山本太郎〈流木のうた〉より
「家なき兒」作演出:桃山邑
12/31/18:00...山谷センター前辻
1/1/16:00...横浜寿町生活館4F
1/2/15:00...渋谷東京都児童会館脇美竹公園
1/3/14:00...新宿ナイアガラの滝広場
いまからおよそ半世紀前にこのように泥の都をなげいた詩人がいました。現在の記憶にもなまなましい、昨年春の東北の海辺の情景は黙示録のように、わたくしたちの目交いの底にやきつけられたままです。いくたび厄災をのりこえたら、安寧が訪れるというのでしょうか。そんなものはない。ひとの生は苦しみ、ほんの僅かの歓びのために、それに耐え、やがていっさいが虚仮である空しさにつつまれて死んでいくのかもしれません。
さすらい姉妹の舞台がとうてい答えをみいだせるわけもありませんが。それでも今年も死と紙一重の冬を生き抜く寄せ場に参ります。益体もない花をかざして。沖縄では、花というとき、色あざやかな華やかさよりも、はかない、せつない、という意味が強いのだということを聞いたことがあります。師走の狂騒の民主主義に背を向けて、どうか去りゆき、来る、刻のきざはしに咲いた刹那の花をごらんください。お待ちしております。
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