埼玉県行田の「イサミコーポレーション足袋工場」

行田は日本一の足袋の生産を誇る町です。行田足袋の始まりは約300年前、最盛期は昭和初期から昭和30年代、全国の約80%の足袋は行田で作っていたとのこと。

町を歩くと足袋を保管する「足袋蔵」があちこちに残っていました。いまも10軒ほどが足袋をつくっているそうです。このノコギリ屋根はその一つ、「イサミコーポレーション足袋工場」。この工場ではいまも「イサミ足袋」がつくらる、現役のノコギリ屋根でした。生産を拡大した昭和初期の建築と思われます。

(撮影:やまさきのりこ)
(撮影:やまさきのりこ)
(撮影:やまさきのりこ)
(撮影:やまさきのりこ)

株式会社イサミコーポレーション http://www.isamicorp.co.jp/

フランス、サン・テチエンヌのリボン織機

長崎総合科学大学で建築学を教える山田由香里さんから、 フランスのサン・テチエンヌ 博物館を訪れたときの写真とレポートが届きました!


2012年にフランスのサン・テチエンヌに行ったときに産業芸術博物館でリボン織機の展示を見ました。そのときに撮った展示の写真です。

サン・テチエンヌは、水力と石炭に恵まれた町で、それを動力にしてリボンと猟銃と自転車の一大産地でした。16世紀からフランス王侯貴族のファッションや文化を支えていた町です。

19世紀にリボンと猟銃が斜陽になると、自転車を産業として興し、ツール・ド・フランスに代表される高速自転車を作ります。

マニュフランス社というヨーロッパ初のカタログ通販会社が1887年に設立された場所でもあります。目玉商品は、猟銃、自転車、ミシン、タイプライターでした。他にあらゆる生活用品を扱っていました。ヨーロッパ内だけでなく、世界中に飛び出したフランス人宣教師たちの生活も支えていました。

なぜこの町まで行ったかというと、マニュフランス社の大工道具が、長崎の教会堂をつくった鉄川与助の大工道具に含まれていたからです。長崎にいたフランス人神父が1910年頃にカタログ通販で購入したものと思われます。この話にご興味のあるかたは、『鉄川与助の大工道具―長崎の教会堂に刻まれた知恵と工夫』(山田由香里、2018年、長崎文献社)をどうぞご覧ください。

リボンの展示も大変美しかったです。幅広の、体にまとう布のようなリボンもありました。

産業芸術博物館などのHPはこちら。http://www.mai.saint-etienne.fr/https://madamefigaro.jp/travel/feature/171214-saint-etienne-museum.html

この話を山崎範子さんにしたところ、なんと、谷中のリボン工場、「千代田リボン製織」の技術者でのちに社長になった渡辺四郎の集めた資料の中(リボンの見本帳)にサンテチエンヌの1898年のリボンがあるとのこと。びっくり、つながりました。(そのリボンはhttps://nokoyane.com/wp-content/uploads/2015/06/B.pdf の見本帳No.27に)

サンテチエンヌは、長く、労働者の町でしたが、近年は、コルビュジェ設計で工事が途中になっていたサン・ピエール教会を2006年に完成させるなど、デザイン・シティとして生まれ変わっています。サンテチエンヌの町は、のこぎり工場のあるどの町にも可能性があると背中を押してくれます。


山田由香里さんには昨年、2019年10月6日に記憶の蔵での谷根千学級で、「長崎の世界遺産と登録文化財 ~潜伏キリシタンは谷根千にもつながっている」のお話をしていただきました。森まゆみさんが『地域人』で連載する「暮らすように町に泊まる」の49号、50号の長崎紀行(前・後編)で案内と撮影で協力もしていただいています。元気な二人の男の子のお母さん。このサンテチエンヌ行は新婚旅行だったそうです。

山田由香里さんの教えてくださったサイトの

https://madamefigaro.jp/travel/feature/171214-saint-etienne-museum.html には、

「 20世紀半ばまで、職人たちは自宅で作業をしていた。リボン織りに使われていた機械が会場に展示されているが、なかなかの大きさ。これが入り、作業に必要な採光を得られる家をリボン職人は必要としたため、窓が大きく、天井が高い家に住んでいた。いまもそうした家の名残りを市内で見つけることができるそうだ」とあります。

行ってみたいなぁ。ありがとうございました!  やまさき

桐生市、築50年のノコギリ屋根を残していくための改築をしたい

とクラウドファンディング を始めている井上弘子さんから、『明日の友』(婦人之友社)秋号が送られてきました。

のこぎり屋根のある桐生の街ガイドです。
いま、谷中ののこぎり屋根の資料であるリボンの見本帳は桐生の繊維工業分析試験場に調査のために貸出中。
まもなく調査を始めて2年経ちます。
来年は途中経過をうかがいながら桐生に行ってみよう。

井上さんのクラウドファンディングはこちら
https://readyfor.jp/projects/nokogiriyane2018
苦戦中のようです、ぜひご協力ください。

クラクフののこぎり屋根

のこぎり屋根のタレコミをいただきました!

旅行でポーランドのクラクフに行ったのですが、そこで活躍しているのこぎり屋根を見つけました。中心部から橋を渡った再開発地区、「シンドラーのリスト」のシンドラーさんの工場跡の前に建つ「クラクフ現代美術館」です。

クラクフ現代美術館 https://en.mocak.plレンガ造りの建物をガラスで覆っていますが、形はのこぎり屋根のままです。ロゴマークものこぎり屋根。案内板ものこぎり屋根です。単に建物を使っているだけでなく、全般にのこぎり屋根愛を感じます。残念ながらのんびり歩いて行ったら入場時限に間に合わなくなって展示場には入れなかったのですが、ロビーや中庭、図書館などはぶらぶらできました。ちなみに、隣にものこぎり屋根が残っており、一部はレストランとワインショップになっています。(ワイン屋ではおすすめの地元ワインを買いました)

というわけで、世界ののこぎり屋根レポートでした。
しま

仮チラシができました。 谷中のこ屋根展 ~藍染川ファクトリーライフ~

先にお知らせした「(仮題)谷中のこ屋根展 ~藍染川ストリートライフ~」が「谷中のこ屋根展 ~藍染川ファクトリーライフ~」となって、仮チラシが出来ました。

谷中のこ屋根展 ~藍染川ファクトリーライフ~ 仮チラシ PDF

期間:2月25日(火)〜3月9日(日) 台東区谷中2-4-2
会場:ギャラリーTEN http://galleryten.org/ten/

播州2日目は雪

播州2日目は雪ではじまりました。寒いはず。

今日は午後からオランダのデザイナー、ペトラ・ブレーゼさんの講演会がメイン会場であります。ブレーゼさんの写真を見ると絶世の美女!昨日のファッションショーに続いて立ち見になりそうです。

さて、のこぎり屋根写真展も好評です。

播州織りは綿織物です。古くは長機木綿・長機縞と呼んだ播州織りの創始は、寛政四年(1792年)という史料がありました。

その後、縞木綿・播州縞と呼び、明治25年に多可(たか)郡縞木綿業組合ができました。最初の組合員は縞木綿機業者91名、組合長は来住(きし)兼三郎氏。この来住さんは、播州に初めて石油発動機で動かす豊田式力織機を導入した人でもあります。明治33年8月のことでした。

「播州織り」の言葉が用いられるようになったのはもう少しあとの、明治39年だそうです。こんなことを知ったのは、写真展の開場時間前に寄った郷土資料館で郷土史家の脇坂俊夫さんのお話を聞けたからです。

小高い丘にある童子公園の山上にある資料館の帰り、瓦屋根の大きな3連のこぎり屋根を発見。雪の中の見事な景色でした。

播州のこぎり屋根写真展

たった2日間の播州のこぎり屋根写真展。はじまりました!

10時に播州織りの総合素材展の開会セレモニーが、西脇ロイヤルホテルグランドホールで幕を開け、続いて織物企業とデザイナーがジョイントしたファッションショーが華やかに行われました。

アパレル業界人たちの熱気ムンムン、人が多すぎて身動きとれない…というメイン会場から50メートル離れた間口15間、5連という巨大なのこぎり屋根が写真展の会場です。本日の気温7度、北風が吹き抜ける工場内は底冷えがします。

熱気ムンムンではないけれど、のこぎり屋根を見に人がポツリポツリと、やってきました。

のこ屋根日記7 一宮と桐生

写真展の最終日。
桐生工業高校出身の先輩後輩だという二人の男性が来場した。
前日に展示を見に来た、やはり桐工(きりこう)出身の友人から「桐生の写真が展示してあるで見てこい」と電話があったという。

昭和8年生まれ、桐生出身のAさんは、27年に桐生工業高校織物科を卒業してこちらに就職した。
「機屋(はたや)に勤めて機械直しでもやろうと思ってね。どうせ働くなら、桐生のような小さいところより大きなとこがいいって兄弟に言われて、それでこっちに。一宮は大きい、規模が違います。41年間勤めたよ」

一宮には群馬県人会があって、毎月喫茶店で集い旧交を温めるという。年に1回は総会もある。

もう一人、群馬県人会のBさんは太田市生まれ。昭和35年に就職して一宮に来た、やはり桐工織物科の卒業生。

「ぼくのクラスは50人。ちょうど機屋の次男、三男、四男なんていうのばかりで、跡取りがおらんかったんだな。クラスの20人がこっちに就職した。その中の6人がこっちで結婚して今も住んでる
同じ桐工の機械化の連中には静岡に就職したのが多かった」

桐生工業高校織物科は今はもうなく、染色デザイン科に名前を変えている。