9月12日(月)本会議で一般質問

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 9月9日から第3回定例会が始まります。 
 12日(月)本会議で一般質問を行います。
 是非、傍聴に来てください。
 15:30頃からの予定です。

【質問要旨】 

1. 3.11を受けて、原発とエネルギー、放射能汚染について
(1) 区長の原発への態度とエネルギー戦略について
(2) 原発・エネルギー戦略に対する教育方針について
(3) 原発事故・放射能汚染に対する情報伝達について
(4) 給食に使用する食材の安全性について
(5) 放射能に対する不安の解消と危機管理について

2. 地域防災計画の見直しに関連して

3. 災害支援に関連して
(1) 被災している子どもたちの支援について
(2) 被災者の住宅支援について
(3) 支援に関する区の業務について

4. 地域福祉計画の見直しについて
(1) 高齢者・介護保険事業計画について
(2) 障害者計画と精神疾患について

5. 文京区の歴史・文化の記録を映像で保存・活用する事業について

8月28日 文京区総合防災訓練が関口台町小学校で近隣町会方々が訓練に参加のもとで開催されました。
 直下型地震、都市型水害などを想定しての訓練です。

 避難所運営訓練などは、見学に来ていた汐見町連の方から「自分たちもやってみよう」と、熱心に見入っていました。重要な課題です。

 私は、災害対策調査特別委員会に所属しています。
 地域防災計画の見直しとあわせて取り組んでいきます。 

原爆の図展開催中

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 8月1日~4日まで、文京シビックセンターの一階で催されている「第7回原爆の図展」を紹介します。

 丸木位里、俊夫夫妻の「第一部 『幽霊』、第二部『火』、第三部『水』(レプリカ)、福島原発事故の写真が展示されています。

 改めて、核兵器、核の恐ろしさを学ぶことができます。 

 写真は、見学にみえた猿渡達明さんと私です。
 放射能を含む災害時の障害者の必要とする課題についてたくさん話し合いました。

 これからの危機管理、防災計画の見直し、バリアフリーの街づくりに生かして行きます。

 さて、今年の原水禁世界大会は、福島市で開幕しました。核兵器廃絶とともに、脱原発が大きなテーマとして取り上げられています。

 福島原発の事故は、終息のめどが立っていません。
 牛肉をはじ めとして、農産物、海産物まで放射能汚染の広がりを見せています。

 私の周辺の、保育園に通わせる保護者の皆さんは、情報交換を行いながら、子どもの命、健 康を守るために懸命の努力をおこなっています。安心を確立することが行政の最大の課題であることを痛感しています。 

東京都の清掃労働者

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 7月17日、東京23区の清掃事業を担う人たちの労働組合(東京清掃労組)の会合を傍聴。

 この集会は、
①清掃工場の安全・安定的な運営 
②公務員制度改革 
③東日本大震災への支援
 などの課題について学習と交流を目的に開催されました。

 福島第一原発事故の影響で、江戸川清掃工場の飛灰から9.740㏃/㎏という高濃度の放射線セシュウムが検出され、工場内の灰バンカーに一時保管されている。
 7月15日には、千歳清掃工場に、水銀混入ごみが不正搬入され、焼却炉が停止する事態が起きている状況が報告されました。
 清掃労組組合員は、このような大変危険な事態か起きている中で、工場の安定的な運営に全力を挙げています。
 2008年からのサーマルリサイクルが実施されましたが、分別方法に対する混乱や、分別に対する意識の低下も指摘されています。
 こうした課題に、この組合員の方々は、真剣に取り組んでいます。また、東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理支援では、仙台市を中心に延べ309人があたってきました。
 災害廃棄物処理は、彼らの最も得意とする分野でその技術を発揮し、現地からも賞賛を得ています。
 消防隊やレスキュー隊、自衛隊の救援活動が報道されがちですが、こうした清掃労働者による災害廃棄物処理も大切な活動です。
 阪神・淡路の震災でも、震災瓦礫処理は、重要な課題でした。
 こうした、清掃労働者の果たしている役割は、東京・都市部においても重要な役割を果たします。
 あらためて、社会全体で、清掃事業の大切さを感じました。
 酷暑の中で、連日清掃業務等が行われています。
 健康に留意して頑張ってください。

文京区地域防災計画の見直し

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 7月4日~5日、被災地の炊き出しに参加しました。
 
 これで、2度目です。
 場所は、福島県いわき市の避難所、勿来市民館・みなみの森スポーツパークです。

 暑くなり「冷たいうどんが食べたい」との要望があり“冷やしぶっかけうどん”と“ちくわ天・かきあげ”にしました。
 
 炊き出の支援がないときは、行政から弁当が出されます。
 さすがに、4ヶ月も続くと弁当は「飽きて」食べたくなくなるそうです。

 避難所の方は、食事が提供されることには、感謝しているのですが、冬から夏に変わる暑さや環境の変化なども改めて、被災地で求めていることと、行政の提供していることの違いを感じました。

7月1日 第2回定例会が終了しました。
 「職員の育児休業等に関する条例の一部を改正する条令」など12の条令が可決されました。
 区議会議員選挙後、初の議会であり新たな気持で審議に臨みました。

災害対策調査特別委員会から報告します。 

1.  東日本大震災の対応

 文京区の被害状況は、避難者数1,062人(帰宅困難者898人)は、区有施設58件、住宅79件(消防、警察から直接連絡があったもの)と報告がされました。

 私は、区独自として被害調査を行っていないことが問題と感じました。
 瓦屋根の倒壊、大谷石塀やブロック塀倒、木造家屋の傾き、など現状は「こんな数字」ではありません。

 もっと多くの被害が出ています。
 こうした、被害状況の分析が、今後の防災のまづくりに生かせると思います。
 また、避難所開設、帰宅困難者への案内など、とても「指示」「機能」した状態ではありません。
 今後、こうした、教訓をもとに抜本的対策が問われています。

2.文京区地域防災計画修正について

 今回の大震災をうけて、国・東京都が防災計画の大幅な見直しを行う。
 それにあわせて、文京区地域防災計画の修正を行う予定です。

 その内容の柱は、
 ①避難所(32ヶ所)の開設・運営面で区の役割の明確化。
 ②地域活動センターの役割の見直し。
 ③帰宅困難者への対応など5点の柱です。

 課題として、要援護者名簿の活用、放射線対策、医療機関との連携、特養ホーム、障害者施設などとの連携なども課題となります。

 さらに、全く機能しなかった伝達手段。
 携帯や防災放送など根本的解決が必要と感じました。
 国や都の見直しの動向を追うのではなく、区民の実態や声を受けて独自の検討を進めるべきだと考えます。
 今後の緊急な課題です。

文京区での放射線の測定

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 既に、文教委員会で報告された、区立のすべての保育園、幼稚園、小・中学校各1か所で測定実施することが報告されていますが、6月28日建設委員会で「放射線の測定について」の報告をします。 
 
報告内容は、東京大学、お茶の水女子大学、(社)日本アイソトープ協会の各専門家と区の立会いのもとに地上5cm、50cm、1mの地点で測定するという内容です。

 プールの放射性物質の測定については、1校で、降雨前と降雨後で測定する。測定結果は、区ホームページで公表。

私の周辺の区民の方々は、放射線量に関する情報公開が不十分で、納得いく説明もない政府への不信感を感じています。観測されている放射線量が健康にどのような影響を及ぼすか、成長期にある子どもたちへの危険性はないのか。このような不安を減らし、なくす責任があります。文京区においてもその先頭に立つべきです。着実な実行を望みます。

6月28日の夜は、第八中学校避難所運営協議会に出席しました。
 
3.11東日本大震災をうけて、防災訓練や避難所運営の重要性が増しています。千駄木二丁目東町会と千駄木三丁目南部町会が災害時に第八中学校を避難所として運営することになります。 

今回、2町会の役員・担当者が汐見活動センターに集まり、自己紹介から始まりました。隣の町会といっても、知らない人も多く初めて顔をあわせた方もいたくらいです。万一、災害が起きた場合は、もっと“知らない人同士”が増えるわけです。もっと訓練を通じた交流の必要性を感じました。

 次回は、第八中学校で行い、備蓄倉庫の物資の視察なども行う予定です。

子どもたちを守るための学習会

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 福島第一原発事故を受けて 、『子どもたちを守るための学習会』を開催します。

 日時 7月3日 14:00~16:00
 場所 汐見小学校 一階ランチルーム
 講師  伊瀬洋昭(酸性雨調査研究会) 
 内容 ①福島原発事故で、今起きていること
     ②子どもへの健康被害は?
     ③これから何をすればいいのか!
 参加費 会場費・資料代200円
  どうぞ、ご参加ください。 


 福島第一原発事故は、終息どころか危機的状況が続いています。

 文京区は、頑なに放射線測定を行おうとしませんでした。突然、6月24日、区内の幼稚園、小中学校、保育園において放射線測定を行うと方針転換をしました。

 23区中19区が実施を表明している中で「乗り遅れまいと」しただけのようです。

  放射線から、子どもたちの健康を守るためにどのように対処すべきなのか。
 原発事故の真実と、放射線による健康被害、その対処について学んでいきたいと思います。
 文京区の行政の対応とあわせて学習会を開催します。
 
 5月22日 千駄木3丁目の須藤公園で開催された、「公園で日がな遊ぼう!須藤公園こどもフェスタ?むかしあそび&冒険あそび?」です。
 たくさんの子どもたちが参加しました。

文京区での放射能の測定

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 第二回定例会での質疑を報告します。

 各会派からの代表質問では、福島原発事故を受けて、放射線量の測定を求める質問が出されました。

 区内においても幼児を持つ保護者から、幼稚園や保育園の園庭、公園など子どもが遊ぶ場などでの定点測定を求める声が相次いでいます。

 その声を背景に、全ての会派から、測定について質問が出されたものです。

 区長からの放射線の測定についての答弁のポイントは、①東京大学で、3か所での測定を実施している。②3月15日から5月31日までの78日間の積算被ばく量を計算すると、0.292ミリシーベルトになり、この値を1年間に換算すると、1.366ミリシーベルトになる。③本郷地区の地表と宇宙線からの自然放射線量は、地上1mで1年間に0.645ミリシーベルトで、この分を除けば、1年間に0.721ミリシーベルトとなり、国際放射線防護委員会が勧告する、「自然由来を除いた1年間の被ばく量を1ミリシーベルト以下に抑える」という基準を満たしている。④給食についは「(汚染された)食材を使用することはない。

 したがって「区単独で測定する予定はありません」とのことでした。
 放射線量の安全基準の評価、測定には、専門家の間でもさまざまな意見があります。

 また、これまで国や、東京電力が「絶対安全」を繰り返し、原発のトラブルや危険性にフタをしてきました。だから、私たち一般市民は不安を感じているわけです。

 東村山市では30箇所の測定を行うなど、他の自治体では独自の判断で測定が行われています。また、横浜市では給食の食材の測定を行い数値を公表しています。このように、保護者の不安に答えるための努力がなされています。

 ところが、文京区の姿勢は、「数値はHPに公表している」「安全な数値」という理由だけで、区民の不安や疑問に答えていません。

 私は、福島原発事故が終息の兆しが見えない中で、継続してきちんとした計器で定点観測を行うべきだと思います。

 今後、いつ危険な範囲での放射線が流れてくるかもわかりません。
 場合によっては、子どもだけでも集団で避難することも必要になるかも知れません。
 そうした対応も必要になってきます。
 長期にわたる対策に取り組んでいきます。
 
 写真は、63日に行われた第23回反核平和の火リレーです。
 文京区内を走りつなぎ、駒込駅で北区の仲間にバトンタッチしました。
 私も、ランナーとして春日地区を走りました。 

文教委員会副委員長に就任しました

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  613日、第2回定例会が71日までの19日間の日程ではじまりました。

 新たに委員会構成と付属機関の委員が決まり、私の所属は以下のとおりです。

 文教委員会・副委員長
 災害対策調査特別委員会・理事
 消防団運営委員会・委員
 都市計画審議会・委員

 これまでの4年間、防災委員会で多くのことを学びました。
 今回の東日本大震災、避難所支援の経験を区政に活かしていきたいと思います。一生懸命頑張ります。 
 
 610日、文京区避難所運営協議会役員全体会に参加。
 150人を越える町会役員の方々が参加し熱心な討議学習が行われました。

 参加者からは、真剣さが伝わってきました。
  それぞれの、避難所で、自主的な、訓練の必要性を痛感しました。

映画と文京区日本映画の初公開

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 6月11日、地域で残そう映像資料 第2回「映画と文京区日本映画の初公開」が行われ参加しました。

 1897年小西本店(後に小西六写真工業、現コニカミノルタ)が『写真月報』市場に「活動写真機器の到着」の見出しで広告を掲載しています。
 
 現在資料や研究で確認されているところでは、本郷中央教会で日本映画が1899年(明治32年)最初に上映されたそうです。
 
 当時の「中央新聞」の広告記事に「奇絶快絶座して世界を漫遊するが如し米国最新輸入」とあり一等三十三銭、四等六銭となっています。
 
 その後、日本活動写真の興行は、歌舞伎座、明治座、本郷春木座、名古屋御園座で上映されていきます。
 その頃、初めて映画を観た人は、どんなことを思ったのでしょうか?
 今日3Dの映像を見ても、さほど驚きません。でも、明治の頃の、文化や人々の生活を記録している“映像”かとても大切な文化遺産です。
 
 1899年に作成された「紅葉狩」は、2009年に国が重要文化財に指定しました。
 歴史を、保存することは大切なことだと思いました。

被災地支援報告その2

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 何もかも破壊した、地震と津波そして原発!


 避難所へ配食に向かう途中に海岸沿いの被災地の惨状に出会いました。


 小名浜港、江名港、豊間、薄磯、など大きな津波被害です。


 四倉高校に行く前に、久之浜に向かいました。

 この区域は、瓦礫の撤去作業が行われていて、1630まで一般車両は入れません。


 私たちも、作業車両が引き上げた後に、現地に入り、惨状を見て唖然としました。

 テレビの映像や写真で見るよりはるかに大きな被害と感じました。
 防波堤、人が住む家、道路、車などすべての物がことごとく津波で破壊されています。

 千年に一度、想定外の大きな津波の大きさと言われています。
 この大津波を防ぐとすれば、いったいどうすればいいのかと感じるほどです。

 でもこの経験は、将来に生かさなければなりません。
 

 その後、国道6号線を北上しました。

 コンビニなどは営業していましたが、この時間、対向車線の南下する道路は、福島第一原発方向からの車が連なっていました。

 原発事故処理の拠点となっているJビレッジと東芝の看板を掲げた施設からどんどん車が出て来て南に向かっていました。

 津波を受けた街の瓦礫処理の車よりも圧倒的な多さに、原発事故処理の大変さを感じました。
 さらに、原発から20㎞の地点で、検問のように警察が道路を遮断して、「ここからは、許可証が無いと通れません。Uターンしてください」と。

 まるで「有事の厳戒態勢」のようでした。
 それから、渋滞の中を四倉高校へ!

 原発が、一向に終息の兆しが見られない中で原発処理と瓦礫処理が海岸沿いの街で行われています。

 こういった状況ですが、私も被災地の支援を続けていきます。

いわき市への支援に(報告その1)

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 5月18日~21日にかけて福島県いわき市に行ってきました。(報告その1)
 支援活動を熱心に熱心に続けている池本英子さんから、「避難所への炊き出しで、カレーが飽きてきている。別の料理にできないか。魚が食べたいという要望がある」と連絡がありました。

 私は、学校給食調理の経験があり“カレーなら肉じゃが、魚は煮魚にすれば大量調理は可能なので、了解!支援に行きましょう!炊き出しは、任せてください”と返事をしました。
 
 池本英子・達雄夫妻、福島を是非取材したいといっていた、森まゆみさんの4人で、いわき市に向かいました。
 
 支援にあたって「何故、被災地から遠い東京から時間と経費をかけて支援に行くのか?近隣の福島県の人たちによる支援で間に合わないのか?」これが私の大きな疑問であり知りたい課題でした。

 今回私たちは、イスラム教徒の「ジャパン・イスラミック・トラス(宗教法人・日本イスラーム文化センター)マスジド(モスク)大塚」の方といわき市の方が、3月26日からずっと行っている炊き出し、たくさんの食料などを送る支援活動の中に入れてもらったものです。
 
 彼らは、イスラム教徒のネットワークを活用して、東京のインド料理店のコックを交代で派遣していたり、頭の下がる支援活動を行っていました。
 
 毎日、カレーが多いので、できる限り日本人の食生活に合わせた味に工夫しているとのことでした。
 
 「困っている人がいるのを助けるのはあたりまえ」・・・これが彼らの考えです。
 代償やお礼の言葉を求めたりしません。
 彼らのいわき市のモスクを拠点にただ、ひたすら支援です。
   
 私たちは、4日間で避難所になっている勿来体育館 、勿来市民会館、江名小学校 、四倉高校への炊き出しと、平工業高校を訪問しました。
 既に震災から2ヶ月が過ぎていて、立ち寄った勿来の民間のボランティア受付所も閉じる作業をしていました。 勿来支所(いわき市の出張所)の方によれば、発災直後、支所が把握しただけで31ヶ所の避難所に4,890人が駆け込み(実際はもっと多い),この地区の約10人に1人は非難したことになります。
 
 それが、5月18日避難所3ヶ所161人までになったそうです。
 仮設住宅や民間アパートへの転居がおこなわれていていました。
 それでもまだまだ足りない状況、地域で一緒にくらしていたのにバラバラになりたくない、住んでいたところから遠くになる、などさまざまな理由で避難所での生活を続けていると伺いました。

 避難所では、ダンボールで家族単位で壁をつくっているところもあれば、ビニールシートを敷いて布団を重ねていたり様々でした。
 
 私は「もし、自分がこの生活が長期になるならとても耐えられない」と思いました。
 共同生活といっても、食事を選べない、個人のプライバシーは無いに等しい状況で、着替え用のテントを張っているところもありました。
 
 炊き出しが無いときは市販のおにぎり、弁当が市から支給されますが、毎日食べていると飽きてのどを通らなくなります。
 
 ですから、できるだけ、暖かい和食、汁物という要望になってきます。
 自分たちで、調理といっても、大量に食材の注文、調理、片付けを行うとなれば、人材、調理設備・道具、役割分担、衛生面に注意も必要です。
 
 避難所の学校体育館での自炊は難しいと思いました。
 文京区では、給食が自校方式で、調理室があるので工夫すれば炊き出しは可能ですが、いわき市は条件が違います。
 私たちが、食材の買出しに、出かけたモスクから3kmほどのところにあるスーパーマーケットには、あらゆる食料品があふれていました。
 でも、地元でとれる魚貝類だけが原発事故の放射能汚染の関係でありません。
 被災地から逃れたところでは、通常の生活が取り戻しつつあると思いました。
 
 それでも、毎日、余震は続いているし、「3月11日と4月11日の不安が頭から消えることは無い」「原発の放射能がどうなるのか不安」と、私たちが出会った誰もが話していました。
 
 一見取り戻しつつある生活も、避難所にいる方も、家屋倒壊などの難を逃れた方も、みんな同じように不安な生活を送っていて、街全体が元気が無いように感じました。
 地震による家屋の倒壊、毎日続く余震、津波による壊滅的な街の崩壊、原発事故による放射能汚染の恐怖、これらが今も人々を取り囲んでいます。
 
 福島県で、いわき市で、近隣の人たちで支援しろとはとても言えません。
 やはり、東京に住んでいたり、どんなに離れていてもできる人は、支援を行うべきです。
 私も、できることを続けたいと思いました。
 雪の降る季節から、夏に季節が変わって必用な衣類も変わってきています。
 被災地の要望を的確に把握しそれを、何処に何が必要なのかを発信するシステムの確立が求められていると感じました。

5人で文京区議会の会派を設立

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 文京区議会で浅田やすおは、新会派を設立しました。

 新会派名は、市民の広場・文京(通称・市民の広場)で、5人の議員が参加します。
 
メンバーの議員は、田中和子、前田くにひろ、藤原美佐子、海津敦子と浅田保雄の5人です。

この5人の議員は、区民の立場に立ち情報公開の徹底、さらなる区民参画による区政の推進を掲げています。
 
私は、社民党に属していますが、より市民の立場で区政を変えていくために、あえて共通の考えに立つ方々と、スクラムを組むことにしました。ご期待ください。
今後の議会の情報は、随時このブログで報告します。

さて、つつじが綺麗に咲きました。
 五月の連休は、根津神社で“つつじまつり”のお手伝いでした。
 今年は「自粛」で、イベントが縮小されたせいか、観光客もやや少ないように感じましたが、秋の下町まつりでは、自粛ではなく元気な下町の姿になることでしょう。

2期目の当選 1,641票 19位

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 4月24日、文京区議選で浅田やすおは、2期目の当選です。1,641票、19位でした。
 
 地域のみなさん、町会の皆さんをはじめご支援を頂いた方、スタッフの方々には、多くのご支援を頂きました。今後の4年間の浅田やすおは全力で活動します。
 
 さて、3月11に、東日本大震災が発生しました。
 当日の夜、汐見小学校で、地域の方々、後援会の方々が「浅田やすお励ます集い」を開催していただくことになっていました。
 
 もちろん、会は中止され選挙戦は前途多難な始まりでした。地震の被害状況、原発事故の拡大が日々刻々と明らかになるなかで、被災地への支援に回りました。文京区の支援物資の受け付け窓口に、根津の方々と支援物資の運び込み。“光源寺おむすびにぎり隊”に参加。
 
 社民党として街頭募金を募るなどの活動に奔走しました。
 そうした活動の中で、宣伝カーを使わないなどの「自粛」選挙が始まりました。
 私は、最初から自分の主張をはっきりと伝えるために、あえて宣伝カー、拡声器を使って訴えました。
 告示日直前の15日には社民党福島みずほ党首も駆けつけてくれ街頭宣伝を行いました。
 皆さんに、少しでも訴えが伝わったと思っています。
 
 選挙戦で、声をかけられた内容で一番多かったのは、子育て世代の女性の方から「放射能の子どもへの影響が心配です」「原発はやめてください」「学校給食の管理は大丈夫ですか」という内容でした。
 
 国は安全をうたっていますが、子どもを育てる親は深刻な問題として受け止めています。
 子どもたちの成長、健康に関わることですから当然なことです。
 放射能の安全基準を操作したりすれば、不信はつのるばかりです。
 分かりやすい表現で、事実を正確にスピード感を持って明らかにすべきです。
 また、私の主張は“脱原発・原子力発電に依存しない社会の創出”です。
 もちろん、文京区行政だけでは解決できない問題ですが、文京区として行うことはできるはずです。
 
 節電、太陽光発電への助成の拡大、大量電気の消費を抑えるまちづくりなどやれることはたくさんあると思います。文京区から発信していきましょう。
今回の選挙を通じて、また多くの新しい仲間が出来ました。
 
 こうした仲間の期待にこたえるためにも4年間全力で区議会議員の活動をしていきます。
 フル回転で走り続けます。よろしくお願いします。

福島みずほ党首 千駄木駅で応援

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 415日、千駄木駅での社民党街頭宣伝に、福島みずほ社民党党首が駆けつけてくれました。

 一緒に、社会党の政策、東日本大震災への支援の課題、原発事故について訴えました。

 福島党首は、特に原発の処理のあり方、脱原発を掲げてきた社民党の主張を訴えました。

 私からは、文京区での地震災害への対応、耐震改修や避難所運営の訓練の必要性などの課題。

 保育園で本年4月の認可保育園入園希望のなかで実に426人が「待機児」が生まれている現状で、認可保育園の増設が急務であること。高齢者の特養ホームに、常時800人を超える方が入所待ちの現状を踏まえ、特養ホームの建設の必要性を訴えました。
 
 今回の、私のマニフェストでもあります。
 
 社民党の原子力政策。
 
 浅田やすおのマニフェスト
 http://asadayasuo.cafe.coocan.jp/

光原寺おにぎり隊

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 私たちのできる限りの支援をしていきましょう。
 そんな想いでで多くの方が、東日本大震災で被災された方に物資の支援活動が行われています。 

光源寺さん(向丘2-38-22)に集まったボランティアの手により、おにぎりをはじめ、たくさんの物資を被災地に送りました。

 物資は、宗教法人・日本イスラーム文化センター・マスジド(モスク)大塚に集積し、モスクの方が大型バン2台で片道7時間かけ運搬。

 届け先、気仙沼市立松岩公民館、気仙沼市役所唐桑町役場。
 さらに3月26日、4月2日、9日と続けられていて、これからも行われます。

 届け先も気仙沼老人福祉センター福寿荘、気仙沼内避難所、石巻市熊谷産業などに拡大されました。支援物資も衣類(レインコート、靴下、肌着、Tシャツ、ほか)、靴(長靴、スニーカー)、食料(牛乳、パン、オレンジ、調味料、野菜、ほか)、ラジオ、電池、下着、紙オム(大人用)、介護用品などです。

 地域の方々が声をかけあって集められたものです。
 また、おにぎりや牛乳などは、保冷や衛生面に注意した作業が行われています。

 被災現地の実情と報道されている内容では違いがあります。
 車で届けた方が、その要望を聞いて帰って、次の配送に準備することを繰り返しています。 

 被災した方々に支援をしたい気持を持つ方の熱意には頭が下がります。
 私は、光原寺から大塚モスクへ物資を運ぶことなどの支援しかできていませんが、こうした活動に参加できたことに感謝しています。

 小さな力かもしれませんが、たくさんの人の熱意と力が集まれば大きな支援の力になります。
 さらに、継続していきたいと感じています。
この経験は、今後の、行政としての支援政策に活かしていきます。  

大地震の爪痕

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 3月11日の大震災から1カ月過ぎました。
 私も11日の2時46分には黙祷を捧げました。

 さて、私の住まいの千駄木、根津の被害ですが、この地域では、木造住宅や老朽化した家屋が多く、屋根などに被害が多くでました。

  一番多いのは、写真のように瓦屋根がずれ落ちる被害です。

 私の目視でも30棟を超えます。
 また、壁に亀裂が入る、家が傾く、ブロック塀や大矢石塀の倒壊などです。

 地域を回ると「今後も地震が続き、さらに被害が大きくなるかと心配」「修理費が高く、どうするか目処が立たない」などの切実な声が聞かれます。

 今も、連日余震が続き、原発事故などの問題が山積していますが、行政は被害の把握、相談窓口設置、修理費の融資などについての対応が必要だと思います。

 私は、今後も地域を回り安全対策、生活を守るために全力を挙げます。